六、新しい人生の始まり
一、苦しみの恩寵
全てのものが変化していく存在である以上、人間は変化していくことによる苦しみから誰一人として逃れることはできません。そして、その苦しみによって、新たな経験を得、新たな自分を形成し、そして、自己の存在をより大きく拡大していくことができるようになっていきます。なぜならば、全ての苦しみには意味があり、私達の人生は、目に見えない存在によって、計画され、生かされ、支えられ、導かれているものだからです。
つまり、私達は、更に進化し、成長していく為に、人生における主要な出来事というものが、自分を超えた大きな存在によって、前もってプログラミングされていると存在であるということです。
困難や苦難を与えられると、人は、その困難や苦難を何とかして解決していこうとする為に、必死になってもがき始めます。そして、あらゆる努力をし、全ての手段を使って、その困難、苦難を解決しようと努めます。そのように、多くの困難、苦難に直面し、もがき苦しみながら必死に生きていくことによって、多くの気づきを発見し、多くの経験をしていくことになっているのです。そして、それらの困難、苦難に遭遇することによって、以前の自分の殻というものが破られ、新しい自分が形成され、再編成されていくことになっていきます。そして、自己の生命体も次第に純化されていきます。
自分が苦しむことによって、自分の中で多くの化学反応が起きていきます。そして、それが何度も何度も自分の中で発生し、自分の内部が練り直されていくことになっていきます。そして、その苦しみのプロセスが、内部において繰り返されていくことによって、生命自身である本質的意識というものが動き始めていくことになっているのです。すなわち、本当の智慧というものが自己意識の中に始動していくのです。そして、やがてそれが徐々に身についていきます。そうすると、それまでの自分というものがすっかり改まり、消え去って、以前とは全く別の新たな自己が誕生していくのです。
その新たな自己とは、以前よりも、より高く、より広い視点から物事を考え、観ることができる新人格です。以前の自分と比べてみると、一段階、上昇した状態になっているのです。人を一段階、上昇させ、成長させていく為に、目に見えない存在は、私達に困難、苦難というものを、あえてその人に与えていくということです。そして、全く予測のできない状況の中で私達を苦しませることによって、それまでの古い自分を捨てさせていくのです。そして、完全に以前の自分を捨て切り、燃焼し尽くした時に、新たな自分が誕生していくのです。未来に向かう新時代に適合する新たな自分というものを誕生させていくのです。私達は、自分自身の考えでは、そのような変化というものは、あまり望まないものです。しかし、目に見えない大宇宙の大きな働きは、その運命という力によって、この一連のプロセスを、総ての人間一人一人に対して、強制的に何度も何度も繰り返し行い続けていくのです。そのように、目に見えない存在は、苦難を通して、一人一人の人間を、新たな存在に生まれ変わらせ、成長させていくという事を意図しているのです。
もし、困難や苦難が全く無い人生であったとしたならば、その人は、あまり成長していくことは望めないでしょう。それよりも、むしろ、現在の自分を維持していくどころか、一日一日と退化していってしまうでしょう。しかし、この物質世界の全ての存在は、変化していく困難な世界に生きていますので、それはあり得ないことなのです。総ての存在は、変化していく世界状況の中で、進化し、成長していかざるをえない存在になっているからです。この変化激しい社会状況、厳しい人生の中に生きていくというところに、私達に対する目に見えない世界の御経綸があるのです。そして、その中で生じる苦しみを一人一人が通っていくことこそが、最終的に、自分という人間の成長へと繋がっていくのです。ここに、苦しみの恩寵があります。
アコヤ貝は、人間によって、他の貝殻で造った真円状の異物を体内に入れられます。もちろん、人間がこのことを行うことは、目的があってすることです。そのことによって、アコヤ貝は、その丸い真円状の異物を体内で転がしながら、何とかして、その異物を外へ吐き出そうと苦しんでいきます。そうした内部の苦しみの中で、アコヤ貝は、その真珠層を異物に巻いていくことによって、その異物そのものを、徐々に自分の体内で違和感のないものにしていくのです。そして、やがて、それを完全に受け入れていきます。そして、何度も何度もそれを繰り返していき、そうした苦しみを通過して、受容していくことによって、単なる丸い異物が全く別のものに造り変えられていくのです。それは、アコヤ貝の生命自身が持っている智慧によって造られていくものです。それが美しい真珠です。真珠の輝きは一つとして同じものはなく、その一つ一つの真珠の輝きというものは、実は、そのアコヤ貝の生命の声であり、苦しみの叫びから生まれたものなのです。また、一つ一つの真珠の色とその光沢というものは、アコヤ貝の苦しみの涙でもあります。その苦しみの涙によって造られたものは、最終的に、多くの人々の為になり、多くの歓びを感じていただける素晴らしい真珠へと生まれ変わっていくのです。そこにアコヤ貝の存在理由があり、生きる目的があるのです。
人間という存在は、困難、苦難に遭遇すると、何とかして、現在の自分の現状世界を維持しようとするものです。しかし、どうしても現状維持をすることができない場合は、それまでの古い自分から新しい自分へと、自分自身を変えていかなければなりません。その時点において始まっていくことが、自分という意志を超えた所にある「内部生命の智慧による新たな創造」ということなのです。
私達が全く新しい環境や厳しい危機状況の中で生きていく際に、それに適合させて生きていく為には一体どうしたらよいのかという緊急的問題が出てきます。そういう場合こそ、その人間の生命の本質が始動し始めるのです。生命自身には、全知全能ともいえる優れた智慧があり、その偉大な智慧そのものが、新しい状況に適合した自己を創造していくのです。そのことを人間は全く意識できずに、ただ四苦八苦していくのですが、人間の内部においては、そのような状態の時でも、物凄い速さで新たな創造と改造が行われているのです。そして、その優れた内部の智慧の働きは、その生命体をより高度なものにしていく為に、新たな場所に、非常に多くの新しいシナプス、新たな細胞、そして新たな血管を造り出していくのです。
モーツァルトは生まれながらの音楽の天才ですが、彼の人生は実は病魔との闘いでした。6歳の時、しょうこう熱と同様な状態に陥り、7歳で間接リウマチに罹り、8歳の時に、発疹チフス発作を起こしました。そのような臨死状態を通過した後に、彼の才能がより大きく開花していったのです。モーツァルトの脳の中で、ちょうどこの時期、大きな変革がなされていったのです。この一連の病魔という苦しみは、それ以後のモーツァルトの人生における使命達成の為には、どうしても必要なことだったのです。それは全て、見えない存在によって準備され、計画されていったことでした。この生と死の間の臨死状態の期間、モーツァルトの脳内において、更に複雑なシナプスが創造され、通され、それらが結ばれていったのです。そして、生命自身の智慧の働きによって、その全く新しい脳内ネットワークが全て完成されることになり、以前のモーツァルトという人間が根本から改造され、モーツァルトという人間を、天上界から地上界への通路の存在へと造り変えていったのです。そのことによって、モーツァルトを通じて、目に見えない生命世界の音楽を、地上世界にもたらすことができるようになったのです。
ですから、私達が、信じられないような出来事に遭遇した時に、まず自分の内部に存在している生命の智慧に対して、自分の生命を強く信じ、委ねることも非常に重要なことなのです。なぜならば、生命が危機に晒された時にこそ、自己に宿る生命の智慧の働きが動き出し、より高級な自己の身体というものを段階的に形成していくことができるからです。それは、目に見えない存在達が、一人一人の人間の過去のカルマを使って、天上と地上の理想を実現していくために起こしていることなのです。そして、苦しみを通して新たな生命体を獲得させることは、一人一人に対して、新時代の新たな役割と使命を果たさせていくことになっているのです。すなわち、自分の内部と外部の大きな変化によって、もたらされる大きな苦しみというものは、最終的に、一人一人の生命体においても、進化と成長を促進していくことになっていくということです。これは、苦しみの恩寵といえるものです。
人の一生は、困難、苦難の連続となっています。一つの困難、苦難がようやく過ぎ去ったと思った瞬間に、また別の困難、別の苦難が自分に訪れて来てしまいます。その様な時では、普通の人間であるならば誰でも、その困難、苦難から逃げ出してしまいたいと思うことは当然のことです。しかし、それらから逃れようとしても、困難、苦難は私達に、ぴったり背後から追い付いて来て、私達を絶対に離さないのです。それらから逃れることができずに結局、私達は、運命に対して無条件降伏をして、自分の人生そのものを大生命に対して大政奉還していくことになっていくのです。しかし、その後、紆余曲折しながら、その困難、苦難を通過していった後で、必ず、今までにはなかった新たな自分が誕生しているということに気づく時が訪れて来るのです。その時になって、困難、苦難というものが自分にとって、本当に、実質的に、自分への素晴らしい恩寵であることに気づくのです。そして、そのような自分に至ることができたことに気づいた時に、初めて、私達の心の底から自然に湧き上がってくる感情が、感謝というものなのではないでしょうか。

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