五、体験から学ぶ
二、不思議体験
それは、私がある会社に入社した時に行った研修合宿のことでした。新入社員三人を含む総勢20名位で、東京近県のあるスキー場へ行ったのです。男性は主任一人と私達三人だけで、他の十数名は全員女性でした。
私は、学生時代に多少のスキー経験があったので、それほど心配はありませんでしたが、他の人達のことは全く知りませんでした。スキーのインストラクターはいましたが、事前の説明も運動も全くありませんでした。そういう状態で、私達は、全員リフトに乗り、気がつくと、そこは山の頂上でした。
その日の視界は良好で、私は気持よく先に滑っていきました。私は、他の人達が滑り下りて来るのを少し下の方で待っていると、何分後であったか覚えていませんが、上方から、会社のある女性が頭を下にした状態で、両手を下にして滑り落ちて来るではありませんか。その女性は、悲鳴を挙げながら下へ滑り落ちてくるのです。どうやら、その女性は止まり方を知らないようでした。全く止まらない状態なのです。そして、スピードが益々、加速して、どんどん下へ落ちていくのです。
私は、その時、ちょうど、その女性が滑り落ちてくる横下方の位置にいたのです。
とっさの判断で、私はその滑り落ちてくる女性に横から追いつき、その女性を私の身体で受け止めることにしたのです。そして、スキーのエッジを立てて、なんとか踏ん張って、彼女を食い止めようとしたのです。そしてその時、私はエッジを立てて必死に踏ん張ったのです。しかし、エッジは、彼女が落ちてくる重量のあるスピードを受け止めきれず、それを支えることができずに、一気に下方へ押し流されてしまったのです。そして、今度は、その女性と私自身が一緒に下方へ物凄い力で滑り落ちていくことになってしまったのです。
その時、私は自分の身長と同じ位のスキーの板を着けていました。すると、私がその女性と一緒に山の下方へ滑り落ちていく際に、そのスキーの板が、おかしな状態になっていったのです。
私の身体全体が下へ滑り落ちていきながら、私が着けているスキー板が、まるで八の字になるように急に後方に広がっていき、私の両足は一種の又裂きのようになってしまったのです。
「もうダメだ!」
身体が引きちぎられると思った瞬間、私の身体全身が、ふわぁ、とまるで強力な磁石によって吸い上げられるように空中に浮いたのです。そして次に、私の身体は、まるで誰かが引っ張ってくれたように、空中で大きくU字型に曲げられたのです! そして、私達は止まりました。それは一瞬の出来事でした。
横を見ると、私と一緒に滑り落ちてきた女性がいて、「やっと、止まった!」と私に言いました。そこは、今まで滑っていたコース上ではなく、ちょうど山の端の新雪の上だったのです。誰も滑った事のない全く異なる場所だったのです。私はすぐに周囲を見ました。しかし、そこには誰一人として居ませんでした。
あの物凄い力は一体何だったのだろうか。
私は身の危険を感じた時、確実に物凄い力によって、上へ、空中へ引き上げられたのです。そして、同時に左横の方向へ、物凄い力によって持っていかれたのです。それによって、女性も私も安全な場所へ運ばれ、命が救われたのです。
私も女性も無事で、どこにも怪我一つしていませんでした。
しかし、そこには誰もいませんでした。
しかし、何か大きな力が働いたことは間違いありませんでした。
この時、私は目に見えない存在を実体験したのです。
この時の経験は、私にとって一生忘れる事ができないものとなりました。
また、別の種類の不思議体験があります。それは1982年の夏頃のことです。私は、インドのジャンムー・カシミール州のラダック地方へ一人で旅行をしていました。私は一人の修行僧になり、レーという街へ訪れたのです。そして、なぜか分かりませんが、ゴンパと呼ばれる僧院へ入り、ちょうどその時、行われる大きな行事に参加することが許されたのです。その行事は、板の上に非常に細かい砂の顔料でマンダラという大宇宙を造り、それに対して祈りを捧げるものでした。私は、言語も全く分からないチベット異空間のなかで、ただ一人、チベット僧侶の祈りの中にいました。その時、私はタイム・スリップしてしまったのです。そこにいた私は、明らかに過去の自分だったのです。過去世の自分がそこにいたのです。現在において、私という人間が存在していて、マンダラに祈りを捧げているのですが、そこにいる自分は過去の自分であり、その時の時間は、私にとっては明らかに過去の時間だったということです。それは、現在の中に過去の自分がいて、過去の中に現在の自分がいるというような感覚でした。それは実に奇妙な感覚でした。その感覚は、言葉ではなく、身体全身で感じるもので、一言でいえば、「私はこれを知っている」というものでした。実際、そこは自分が初めて訪れた場所であり、それに参加することが初めてであるにもかかわらず、そのことを、なぜか自分は良く知っているという体験でした。全く違和感がなかったのです。その時、私には時間というものがなくなってしまい、全てが一つに繋がってしまったのです。それは不思議な体験でした。
このようにして、私は、幾つもの過去世の中の一つを知る事ができました。そのように、人間は生まれては死に、再び生まれながら、再び、失われた自分というものを探し、それを見つける旅に出ていきます。そして、過去の自分が通ってきたものを一つ一つ辿り直しをしていくのです。私達は、現在の自分というものが、一体どの道に進んで行けばよいのかということを、宇宙の大生命から常に問われている存在のようです。そのように、私は、自分でも全く気がつかないものに満たされている意識の不思議さというものに気づかされたのです。
私にあったことは、全ての人々に起こり得ることです。
今までの人生の中で、緊急時に不思議と助かったことや、普通ではありえない出来事に出合った時のことを深く思い出してみると、そこには自分の力を超えた、もっと大きな力が働いていたことに気づかされてしまうのです。
一人一人に、その人を護る存在が必ず付いているということと共に、一人一人の全人生を司っている大生命そのものが、未来において、その人に何かを行わせる為に、試練を与え、苦悩を与え、護り導いて下さっているということでもあります。
人生には色々な事があります。大生命は、常に一人一人を見ていますが、その人の生命体の進化と成長のために一番いい方法を取っていくのです。大生命は、人間のように物質的な事柄や金銭、地位、名誉、権力、生死等に全く執着していませんので、あえて人間には厳しい方法を取っていくのです。
なぜならば、人間とは基本的に物質的な世界ばかりを追求していく、自己中心的な存在だからです。その為に、緊急時や危機の場合を除いて、目に見えない大生命の存在は、人間の欲を捨てさせ、少しでも大生命の世界に目を向けさせ、気付かせようとしていくのです。
そのために人間は非常な苦しみを味わいながら、あらゆる欲望を捨てさせられ、諦めさせられていくのです。
大生命の御心は人間には伺い知ることはできませんが、何か大きな問題があった場合や、人生の危機、または緊急事態になった場合は、必ず、目に見えない存在が、色々な手段、方法で、その人にとって、一番、為になることをしてくれるということです。

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