三、心の持ち方・過ごし方

一、心の持ち方

心というものは、本来、非常に影響を受けやすく敏感なものです。ですから、その心という内的世界をどのように調節し、収め、導いていけばよいのかということが問題になってきます。どんな人の心にも、感情というものがあります。喜怒哀楽です。人間ですから、それを無くすことはできません。しかし、人が大きな困難に直面した時、自分が受ける心の動揺や、腹の底から湧きあがってくる激しい感情を、どのように調整していけばよいのでしょうか。
両親や愛する人の死や、大きな別れ、病気、事故等に遭遇したり、災害による精神的ショック等を受けたりした場合、ほとんどの人は、心が動揺し、深く悲しんでしまいます。それは、人間として仕方のないことです。しかし、大切なことは、その後の心の持ち方なのです。人は誰でもある一定の期間を過ごした後、人は、その心の状態を自己調整して、自分を納得させていくことになっていきます。自分の精神的不安定な状態を、本来の安定状態へと、少しずつ回復していくからです。もし、そうした深い悲しみや、強い怒りの状態が長期に渡って続き、その精神的不安定な状態を回復させていかなければ、その人の健康は損なわれて、やがて病気になってしまうでしょう。
ある出来事が起きてしまった場合、もうその出来事は過去のことになっています。ですから、それは本当に残念なことなのですが、私たち人間ではその出来事を無くし、元の状態へ戻そうとすることはできないことなのです。重要なことは、事が起きてしまった後で、その出来事をどのように捉えていくか、また、それをどのように自分に納得させていくかということなのです。そのことは、自分の健康を守るためにも、それらの事は必要なことになります。
毎日、様々な出来事が起きています。そして、物質世界に生きている私達は、ある程度の原因やその要因は理解できます。しかし、出来事の本当の真相というものは、私達人間が本来の生命世界へ還ってみなければ知ることができないものなのです。このことは、あくまでも自分自身に言い聞かせ、納得させていくものかもしれません。

両親や愛する人の死、事故や災難等の場合も、その事柄自体は非常に残念なことなのですが、人には、その人の運命というものがあり、寿命であったと捉えていくことも人生においては大切な捉え方の一つです。人間は、生まれた時から、何か分からない大きなものに支配されている存在なのです。私達の人生には、自分の範囲を超えた大きな力や、どのようにしても、あらがえない大きな力が働いているのです。その不可思議な働きのことを、私達は運命と呼んでいます。私達は、一秒後の事も分からない存在です。ですから、明日の事など全く分かりません。自分の身でさえ、未来に何が起きるのか、基本的には何も分からない存在なのです。
人間は、真の自己自身を練磨して進化していく為に、何度も、この地上と本来の生命世界との間を、行ったり来たりしている存在です。ですから、潜在意識の中には、いくつもの過去世の記憶が残っているのです。表面意識では、通常、過去世の記憶に気づきませんが、過去の記憶は総て、その人の心の一段深い所の潜在意識の場所に残っているのです。肉体を持って地上に生まれると、過去の記憶が心の奥に潜行してしまう為に、ほとんどの人々は、一種の記憶喪失のような状態になってしまっているのです。しかし、その記憶を思いだす訓練をしていくことによって、少しずつ潜在意識の扉は開かれていくことになっていくのです。そのように、過去の記憶を通常の表面意識に登らせていくことによって、まるで泡が下から上に浮かんで来るような状態になって、やがてそれが思いだされていくのです。
その過去の記憶そして、その記録の中には、善いカルマと同時に、悪いカルマも含まれています。カルマとは、一般的には、その人が過去に行った物理的行為のことですが、生命界のルールでは、その人が心の中で想った精神的行為も、実際の行為と同じ扱いになってしまうのです。そして、善いカルマの場合は、それが今回の人生において、幸運として自分にもたらされていきます。しかし、過去世において悪い行為をした場合は、それが今の人生における不幸や不運になって、その人に還っていくことになってしまうのです。総ての世界を支配している生命界においては、総ての人間に対して、平等に行われる因果応報という宇宙の法則が存在しているからです。 
ですから、その人に起きた事柄は、その人にしか分らないことですが、その出来事がその人に起きたということは、その人に起きなければならない何らかの原因が存在したということを表しています。そして、事の大小は問いませんが、その事が起きることによって、その生命体としての過去の清算がなされ、それまでの総べての人生上の帳尻が合わされていくということになるのです。それによって、全宇宙のバランスが取られ、総ての秩序が保たれて行くことができることになるのです。これは、肉体を持つ私達には理解することが難しいことなのですが、生命界では、私達の想像を遙かに超えた大きな意志があり、それによって物質界における人間の人生や運命が動かされ、導かれているということを示しているのです。
そのように自分が理解していくようになっていくと、次第に事態を受け止めることができるようになっていきます。そして、悲しみや怒りが少しずつ収まっていくのを感じ始めていきます。
もちろん、自分の心は、そんなに簡単に鎮められ、収まっていく事はできるものではありません。やはり、人間には、時というものも必要だからです。そういう時は、目に見えない生命世界の大いなる本源的存在に対して祈ることです。その祈りという行為は、いつでも、どこでも、誰でも、どういう状況の中でもできることなのです。特に声に出さなくても、心の中で想うだけでもよいのです。本源的大生命に対して、個人的に一対一の関係で祈ることです。お金は一切、かかりません。私達は、大生命という大世界の中に生きている生命ですから、もともと今の状態で完全に一体になっている存在だからです。そのようにして自分の総ての気持ちを、声または想いに出して祈ることによって、その生命の本源的存在が自分の悲しさや苦しさを少しずつ、すくい取って下さることになっているのです。 
それがたとえ、問題自体はすぐには解決しない状態であっても、やがて時が経つにつれて、自分の心が、少しずつ、安定してくることが分かるようになっていきます。そして、その問題について考えた時に、自分の心が乱れない状態になっていくことができたならは、目に見えない生命世界において、その問題は徐々に解決されている状態であることを示しているのです。