二、何かが自分を導く
六、祈りと瞑想
人が大きな困難に遭遇して、自分の力ではその問題を解決できない時、その連絡、相談する相手が人ではなく、宇宙または目に見えない存在の場合が、祈りであり、瞑想です。
祈りとは、自分の想い(意)を声に乗せて、宇宙、または、生命存在へ届けていく行為です。別の表現で言うならば、祈りとは心の電話です。この電話は、総ての人が持っていますし、いつでも、どこでも、すぐに使用できるものです。相手が、この地上のどこにいようと全く関係ありません。時間も空間も、この心の電話には全く関係ないのです。それは、電気というものが、時間や空間に関係がないのと同じです。そして、この心の電話は、伝えたい本人にダイレクトに繋がることができるものです。それは、自分の生命を使用する、自分専用の携帯電話です。そのバッテリーは、自分の生命磁気であり、生命エネルギーです。この心の電話の使用範囲は、地球の全ての場所をカバーします。また、その人の電波の性質や純度によって、宇宙までカバーすることもできます。
物理的な行為としては、たとえ、自分ができることが全くなくなってしまったとしても、人間には祈りという最強の武器が残されていることを、決して忘れてはなりません。人生において、自分が非常な困難な状態に置かれた時、または、緊急事態になった時こそ祈るという手段があるのです。相手は、私達の眼には見えませんが、確実に存在しているからです。日頃から自分が信じている存在や、自分や家に縁がある存在に対して、一心に祈ることです。苦しいときは、自分が最も信じることができる存在に、毎日、毎日、いつでも、どこからでも、それらの存在に心の電話をかけることです。
または、自分が心配になった時や、弱気になった時、あるいは、何かが気になった時々に、心の電話をかけるのです。そうすると、自分の心がさっぱりして、落ち着きが回復してきます。そして、気分がよくなっていき、明るさを取り戻すことができるようになっていくからです。
祈りは、自分から生命エネルギーを発信していく能動的行為です。それは、自分の強い願いや希望です。イエス・キリストは、「求めよ、さらば与えられん。叩け、さらば門は開かれるだろう」と語りました。ですから、自分という人間の願いを宇宙や目に見えない存在に伝えることは重要なことなのです。なぜならば、自分の意志を相手に伝えることから、すべてのことが始まっていくからです。そのことによって、自分の意志が見えない世界の存在に受け取られて行くことになっていくからです。そして、その願いを受け取った存在が、人間の願いを聞いて、その願いを叶えてくれるかどうかについては、すべて向こう側の判断によるのです。
瞑想とは、ある一つのイメージを想い続けることです。自分が、その世界に入ってしまったようになるまで、そのイメージのことを想い続けていくことです。想うことによって、自分が、その世界の住人になってしまうことです。自分という存在が、想うものと一つになってしまうことです。祈りも同様ですが、自分が何を瞑想の対象にするかは、全て、その人に委ねられています。たとえば、自分が極楽へ生れたい人は、極楽浄土を想い続けていきます。すると波長がだんだん、極楽浄土の波長と徐々に合っていきます。すると、逆に極楽浄土から自分の方へ近づいて来てくれて、色々な事が分かるようになってくるのです。それを続けていくと、自分が極楽へ行くために必要なものが、一つ一つ、自然に引き寄せられ、伝えられてくるようになっていくのです。
もし、ニューヨークへ行きたければ、まず、ニューヨークのことを想います。そして、自分の想いを一つの対象に向けていくと、多くの情報と必要なものが自然と自分に集まってくるのです。まず、地図を買い、写真を集め、テレビや映画を観ていきます。
そして、ニューヨークという都市が、アメリカの、どの位置にあり、どういう形状の島であるのか、また、ニューヨークという街が、どのように構成されているのかを知っていきます。有名なビルや世界的な建物が分かり、その形状や高さ、また、それが立っている場所が把握できます。地下鉄の路線図を見、バスの路線も徐々に分かってきます。そして、ニューヨーカーのファッションや人々の暮らし方も分かってきて、食べ物や飲み物や、人気のあるショップ等も分かってきます。日本円とドルのレートも分かり、物価や、様々な現在のニューヨーク事情も理解することができてきます。そして、ニューヨークで暮らしていくのに必要な一日の費用というものも計算できるようになってきます。そして、どのように生活すればよいのかということも分かるようになっていきます。このように、そのことについて想うことから出発するだけで、ニューヨークの必要な情報は、全て自然に集まって来ることになるのです。
瞑想では、あるイメージを想い続け、その状態を維持していくのですが、その世界をより深化していくと、自分と瞑想している世界との間で、生命の交流が始まってくることになるのです。そして、純粋な生命の流れが、自分の生命に流入して来るのです。その結果、私達の生命は、この瞑想をすることによって、やがて自分の霊的生命が浄化され、カルマが解消されていくことになっていくのです。
祈りと瞑想との大きな違いは、祈りは、自分から神仏に対して能動的状態に働きかける行為ですが、瞑想は、イメージする世界とコンタクトし続けることによって、その世界の生命の流れを受容していくという生命の受動的行為と言えるでしょう。
また、長時間、祈りや瞑想を続けていきますと、自分の想いが宇宙空間に強く刻印されてしまいます。そうすると、自分が向かうべき未来の一つの型というものが、宇宙と自分の潜在意識の中に形成されていくことになります。それは、自分の将来の運命が形成されるということを表しています。一度、自分が望むイメージが宇宙に刻印されてしまうと、それが宇宙そのものと自分の無意識が自動的に働いていき、その方向へ自分を導いていくのです。ここで注意しなければならないことは、この宇宙の働きというものは、人間の善悪に関係がないということです。宇宙は、宇宙に刻印された型通りに、全てを自動的に動いてしまうからです。ですから、祈りや、瞑想において重要なことは、常に全生命や全宇宙、全人類の進化と奉仕のために使用しなければならないということなのです。なぜならば、もし、人が、祈りや瞑想を、自分一人の目的のために使用した場合は、結局、その反動が起きてしまい、大きな代償を支払わなければならなくなってしまうからです。
人間は輪廻転生している存在です。この世とあの世を、行ったり来たりしている存在です。総ての人は、この地上で生きている間に、多くの善いことを行うのと同時に、多くの過ちを行いながら、様々な体験をして、自分という魂を進化させていく存在です。そして、その地上の生が終わり、自分が、もと居た本来の世界へ還った時に、地上で生きていた自分の全ての見直しをさせられるのです。そして、再びこの物質世界へ生れてくる時に、自分を守護してくれる存在と相談をして、両親を選び、新たな自分の人生コースを選び、前世のカルマを一つでも解消しようと決め、人生で起きる主要な出来事やカルマの設定をし、自分が承知した上で、再び、この地上に生れてくることになるのです。そして、人生のある時期になると、そのカルマが、自然と動き出してくるということです。
そのような場合は、その前世のカルマが溶けていかなければ、その問題は解決していきません。前世のカルマが発動した場合は、人は、死ぬような苦しい状態に遭わされるようになっているのです。そして、その本人が苦しむことによって、心や生命体に付着した汚れが徐々に浄化されていき、そのカルマが少しずつ溶けていくのです。そのような時、目に見えない存在や霊的存在は、その人の生命体が、霊的浄化できるように、常にその人に内面に働きかけているのです。
また、時間というものもあります。カルマが大きい場合は、どうしても、それを解消していくには時間が必要となっていきます。その理由は、一度に、大きな清算をすることは、その人にとって負担が大きくなり、その生命体に非常に危険な状態となってしまうからです。ですから、そのような場合は、基本的に時間をかけて、少しずつ、カルマを分割して支払うことになっていくのです。そのことはまた、その人の、その後の人生を、無事にソフト・ランディングさせていくためにも必要なことになっていくからです。

前のページ へ