二、何かが自分を導く
三、先人から学ぶ
私達は、記録に残っている先人の人生から学ぶことができます。もちろん、先人の生きた時代や社会は、現代のように高度に技術化された社会とは大きく異なっています。しかし、それでも、今とは大きく異なる社会状況の中で、先人は、私達と共通している苦しみや困難に遭遇し、数多くの試練を通ってきたのです。ですから、私達は、自分が困難や試練の中にある時、歴史を通して、先人から多くのことを学ぶことができるのです。
創世記にヨセフの不思議な物語があります。ヤコブには、レア、ジルパ、ビルハとの間に十人の息子が既に生れていました。ヤコブは、ラケルを非常に愛していたのですが、二人の間には、なかなか子供が授かりませんでした。そしてやっと、ヤコブとラケルとの間に、初めてヨセフが生まれました。老人になっていたヤコブは、ヨセフを特に愛しましたが、他の兄弟たちは、それを不満に感じていたのです。
ヨセフには、夢を解く特別な能力がありました。
そして、ある日、ヨセフは非常に不思議な夢を見たのです。
それは、麦を刈り入れた後で、それらの麦を束にする作業の夢でした。自分の麦の束が中心にあって、その周囲に兄弟の麦束がありました。すると、不思議なことに兄弟たちの麦束が全部、ヨセフの麦束におじぎをしたのです。
また、もうひとつ別の夢を見ました。それは、太陽と月があって、その周りに十一個の惑星がありました。それらが全て、ヨセフにひれ伏すという夢でした。それらの夢は、ヨセフが、将来、家族全員の長となり、支配者になるという予知夢でした。しかし、ヨセフの兄弟たちは、この夢を信じることができず、ヨセフを嘲笑したのです。そして、ある日、兄弟たちは、近くに通りかかった隊商に、銀貨数十枚で売り渡してしまったのです。(この出来事は、後年、イエス・キリストが、十二使徒の一人であるイスカリオテのユダによって、銀貨三十枚で裏切られた事と相応しています。)
その後、ヨセフは、エジプトへ連れていかれ、宮廷の侍従長であるポティファルに奴隷として買い取られました。しかし、ヨセフはその素晴らしい才能によって、たちまち家の全てを任されていくのです。しかし、ある日、ポティファルの妻がヨセフを誘惑したのです。ヨセフは、その誘惑を断りましたが、そのことによって逆に妻から恨まれることになってしまい、ついに牢獄に入れられてしまったのです。ヨセフは罪を犯していなかったのですが、固く暗い牢獄の中で、たった一人で耐えていかなければならなくなってしまったのです。無実の罪で投獄までされてしまった・・・。このような理不尽な状況の時が、人間が最も苦しい時です。
そのような状態の時に、給仕長と料理人が入獄して来たのです。そして二人は、それぞれ不思議な夢を見たのです。ヨセフは、それぞれの夢を解いてあげましたが、その夢はヨセフが解いた通りに、給仕長は三日後に解放され、料理長は三日後に死罪になってしまったのです。
ある日、エジプトのファラオが不思議な夢に悩まされていました。ファラオは、毎日、同じ夢を見るのですが、その意味が全く分かりませんでした。給仕長は、その話を聞いて、以前、牢獄の中で自分の夢を解釈してくれたヨセフの事を思い出したのです。そして、ファラオにそれを告げたところ、ヨセフは、牢獄から解放されて、ファラオの夢を解釈することになったのです。
その夢は、初めに、肥えた七頭の雌牛が現われます、しかし、その後、貧弱でやせた雌牛がやってきて、肥えた七頭を食べてしまいます。次に、よく実った七つの穂が現われますが、その後、やせて干からびた七つの穂が生えてきて、よく実った穂を飲み込んでしまうというものでした。
ヨセフは、ファラオの夢を「七年の豊作の後で、七年の飢饉が来る」と解釈し、ファラオに、その助言をしたのです。そして、後から来る七年の飢饉の為に、最初の七年の豊作の間に、食糧の管理と対策を全て整えていったのです。ヨセフの解釈通り、飢饉は起きました。しかし、ヨセフの助言で総ての食糧対策をしていた為に、エジプトは無事に済んだのです。このことによって、ヨセフはファラオの信用を得ることができ、ついに宰相の地位にまで出世することになったのです。
この飢饉は、ヤコブが住むカナンまで広がっていました。そして食糧難に陥ったヨセフの兄弟達は、食糧を手に入れる為に、エジプトにやってきたのです。ヨセフは、兄弟達を見て、すぐに気がついたのです。
自分を裏切った兄弟達、そして自分を奴隷として売り渡した兄弟達を、私達は、どのように思うでしょうか。長年、誰にも頼れずに一人で必死に生きてきたことや、無実の罪によって投獄までされてしまったこともありました。そのような苦しい目に遭わせた兄弟達を、私達は、許せるでしょうか。
まず、ヨセフは、その兄弟達をスパイ容疑で投獄しました。その後、ヨセフは、自分の弟であるベニヤミンに会いたいと思ったので、ベニヤミンを連れて、再びエジプトに来るように兄弟達に命じたのです。
そして、ヨセフの兄弟達はベニヤミンを連れて、再度、エジプトを訪れましたが、ヨセフは、この時、ベニヤミンをエジプトに留め置く為に、一計を案じ、ベニヤミンの袋の中に銀杯を入れて、泥棒にしようとしたのです。
その時、兄弟達は、「ベニヤミンがいなくなったら、父ヤコブが非常に悲しんでしまいます。ベニヤミンの代わりに自分が奴隷になるので、どうか、ベニヤミンを助けて下さい」とヨセフに嘆願したのです。
この時、ヨセフは涙を流しながら、「自分が、あなた方によって、エジプトに売られたヨセフである」と兄弟達に初めて告げたのです。
兄弟達は、非常に驚きました。
父ヤコブが抱くヨセフへの特別な愛情と、そのヨセフに対する嫉妬の為に、自分達が、裸同然でエジプトの隊商に売り渡してしまった・・・。そのヨセフが、まさか、エジプトの宰相になっているとは・・・・。
それは誰も想像もつかないことでした。
この時に、ヨセフは、このように語ったのです。
「神が、あなた方より先に、私をここに御遣わせ下さったのです。兄弟達よ、私を売り渡したことを、どうか悔やまないで下さい」
私達は自分を裏切り、奴隷として売り渡してしまった人達に対して、このように話すことができるでしょうか。
そして、その後、父ヤコブもエジプトへ入ることができ、無事、ヨセフと対面することができました。そして、それ以後、モーセの出エジプトに至るまで、ユダヤの民はエジプトに留まったのです。
平安時代の終わりから鎌倉時代初期にかけて、社会は大きな変革期を迎えていました。時代は、それまでの貴族勢力に代わって、武家勢力が台頭し始め、それまでの既成概念や社会構造が崩れ始めていました。そのような時、法然という僧侶が京都にいました。法然は、それまでの既成仏教の限界を感じ、全く新しい仏教を開始したのです。それは、すべての人の救済の為に始められたもので、専修念仏というものでした。法然は、それまでの仏教のやり方では、修行が非常に難しいため、一般民衆が救われることはできないと気づいたのです。そして、「南無阿弥陀仏」と、ひたすら、阿弥陀仏の御名前を唱えることによって、人は救われると説いたのです。つまり、身分や職業、地位などに関係なく、誰でも、ひたすら、その阿弥陀の名号を唱えれば、浄土へ行くことができると説いたのです。それに加えて、それまで禁じられていた僧侶の妻帯や肉食も認めていきました。このことは、当時としては、非常に革新的なことでありました。そして、そのことは誰にでも容易にできるために、全国に急速に広まっていったのです。
この教えは、もともと、釈迦如来が「阿弥陀経」「無量寿経」の中に説かれている教えです。そして、その教えが中国へ伝わり、浄土教となりました。法然は、その中国浄土教の善導の教えを、日本で伝え始めた最初の僧侶でした。この教えは、誰でも、どこでも、簡単にできるため、それまでの自力仏教に対して、他力仏教と呼ばれ、同時に、難行道に対して易行道と呼ばれることになりました。
しかし、大きな社会変革というものは、いつの世でも、それまでの支配階級や既成勢力にとっては大きな脅威であり、大きな利益損失をもたらすものでもあります。そのために、結果として、大きな政治圧力が加えられていき、ついに念仏は禁止され、浄土宗は弾圧されてしまったのです。その弾圧の時に、法然の弟子である安楽坊と住蓮坊は死罪となり、法然は四国へ、その弟子である親鸞は越後へ流罪となってしまいました。
全ての人々を救済する為に行った事が、逆に国家から大弾圧を受けることとなり、念仏することさえも禁止という結果になってしまったのです。この時、全てのものを奪われ、弟子も殺され、流罪にされ、念仏さえも禁止されてしまった法然、親鸞の苦悩は、一体どれほどのものだったことでしょう。しかし、法然、親鸞は、その大法難の時に、自分達を、そのように導いた大きな動きさえも、阿弥陀仏の御働きと捉えていったのです。
しかし、人生とは不思議なものです。
事実、親鸞の伝道活動と人生は、流された越後から始まっていったからです。不幸な出来事に遭うことによって、そこから、自分でも全く予想していなかった新しい幸福の種が播かれていくことになっていくからです。そして、親鸞は越後に流され、場所を変えていくことによって、さらに念仏の教えが広がっていったのです。親鸞は僧侶としての資格も、名前も奪われて、一般の農民と共に生活をしていましたが、そのような非僧非俗としての親鸞を通して、確実に、法然が開始した念仏の教えが民衆に伝わっていくことになっていったのです。
また、この鎌倉時代のほぼ同時期に、日蓮という優れた宗教指導者も出現しました。日蓮は比叡山で学んだ後、法華経を幕府の中心に据える為に、鎌倉の地において積極的に辻説法をしていきました。日蓮は予言的能力を持っていたので、蒙古の襲来時期を予測し、幕府内部の出来事も言い当てることができました。しかし、日蓮の意見は幕府に受け入れられることなく、逆に弾圧されてしまうことになり、龍ノ口にて斬首の刑が行われることに決まりました。しかし、日蓮はそのような法難に何度も遭いながらも、不思議とその都度、奇跡的に助かり、そして決してそれに挫けることなく立ち上がり、いかなることがあっても、その強靭な精神力と生命力によって強力に生きていったのです。そして、人間の精神力と積極性というものによって、生命というものが無限に引き出されていくということが世に伝えられていくことになったのです。そのように、どんな不幸が訪れようと、どんな困難が降りかかってきても、それで自分の人生を決して諦めることなく、その状態から必ず立ち直り、更にそのことによって、より一層強くなり、発展していくことになっていったのです。
このように宇宙を創造した存在は、二人の全くタイプの異なる僧侶を、ほぼ同時期に送ることによって仏教界全体を興隆させていき、一つの大乗仏教としていきました。そして、それまでの貴族階級中心に与えられていた仏教というものを、全ての人々に拡大し、浸透させていったのです。

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