全一とは

全一とは、「全即一・一即全」のことです。「全即一」とは、全体で一つであるということです。「一即全」とは、一つが全体であるということです。
すなわち、「全即一・一即全」とは、全体で一つであり、一つが全体になっているということを表しています。また全一とは、その大小は問わずに、一つ一つの存在が、それぞれ必要なものであり、一つ一つの存在が全体を構成する上でなくてはならないものであることを前提にしています。その前提に立った上で、大宇宙に全体的存在というものが存在し、それが、一つ一つの存在を生かし、育て、導き、それぞれの生命体一つ一つを成長させているということです。そして、一つ一つのものは、常にその全体的存在と一体となっているということを示しています。つまり、一つ一つのものが、想像もできないような偉大なる全体存在と、常に一体であり、一つ一つのものが独自に生きていながら、全体的存在と切っても切れない関係になっているということを表しているのです。宇宙は果てしなく広がっていますが、そこには一つの調和があり、一つの原理によって成り立っています。それはマクロ・コスモスです。また、私達の世界に存在している極小の存在であっても、その内部を奥深く見ていくと、その内部には、巨大な宇宙空間が広がっています。それはミクロ・コスモスです。
そして、ミクロ・コスモスとマクロ・コスモスが一致していくのを発見するのです。それは全一の世界です。大いなる一つの世界です。大調和の世界です。
私達の物質的世界は、様々な対立するものに満ちています。それらは二元論の世界観です。例を挙げると、プラスとマイナス、男性と女性、太陽と月、昼と夜、善と悪、右と左、上と下、創造と破壊、生と死、表と裏、動と静、白と黒、速いと遅い、見える世界と見えない世界、戦争と平和、夢と現実、豊かさと貧しさ、楽しみと苦しみ、賢さと愚かさ、美しさと醜さ、上昇と下降、前進と後退、健康と病気、満潮と干潮、幸運と不運、便利と不便、新しいものと古いもの、完全と不完全、結びつくことと離れること・・・・・・。
それらの対立概念は、私達が住む地球と大宇宙を維持、存続していくための役割の違いを示しているだけなのです。二元的対立の世界は、それ自体は現実に存在しているものであり、決して間違っているものでも、否定できるものでもありません。しかし、二元的対立の考えでは、競争、搾取、奪取、そして陰謀と戦争を生み、結果として、苦しみと悲しみの世界となってしまうのです。人類が未だに戦争と破壊の世界を続けているのは、この二元対立の考えから脱することができないからです。これからの地球新時代は、今迄の善悪二元的価値観のような、目に見える外形や外観によって差別、区別することによって、異なるものを排除していくやり方ではなく、それぞれ異なる役割を持つ存在をも含み、認めながら、精神的、生命的、そして宇宙的に、全てが一つに統合された霊的価値観に基づいた考え方によって相互協調的に生きる必要性があるからです。その理由は、地球に生きる一人一人が、広く大きく調和し、一つ一つの個性と多様性を認めながら、同時に、「全体的で一つ・一つが全体である」という霊的価値観で生きていくことが、私達一人一人に求められているからです。
その理由は、一つ一つの全ての存在が、大宇宙をも超えた偉大なる存在と、常に一体であるからです。そして同時に、大宇宙をも創造し、維持し、動かしている巨大なる存在が、どんな時でも、私達を愛し、生かし、そして護りながら教え導き、全ての一つ一つの各生命体を成長させているからでもあります。
そこには、人種の違いも、宗教の違いも、国籍の違いもありません。全ての人々が、大宇宙さえ創造した「全一」から生まれた、同じ共通の生命存在だからです。そして全ての生命体は、その大宇宙をも創造した存在に向かって進化、成長していくのです。その時、創造的存在によって、各生命体の知的、精神的、霊的進化は、全て、「全一」のために行われますので、そこに混乱や問題は生じて来ることはないのです。一つ一つの各生命体が、「全一」という大調和の下で進んで行き、先に進んだ生命体は、後から来る生命体のために、助け、補っていきますので、そこには愛と感謝が起きて来るだけになるのです。
同時にそれは、私達、全ての生命体が、「全即一・一即全」の存在になっていくプロセスでもあります。「全即一・一即全」とは、一人一人が、大いなる全体存在に対して、霊的に進化向上し、成長して合一していくプロセスにもなっているのです。「全即一・一即全」になるために、私達人間は、無限ともいえる長い年月をかけ、生と死を繰り返しながら、この地上と霊的世界との間を輪廻転生していく存在になっているからです。
イエス・キリストは、「我は彼なり、彼は我なり」「小さきものにした事は、私に対してしたことである」「蒔いた種は刈り取らなければならない」と語っています。それは「全一」のことです。それは「全てのものは、普遍的宇宙意識で一つに結ばれている」ということを示しています。
またインドの釈迦は、「因と縁」の法を説きました。因縁果報です。
善因善果、悪因悪果とも言います。原因と結果の法則です。それは全ての生命体が、全体的な一つに繋がっているということを表しています。これも「全一」です。洋の東西を問わず、宇宙の真理を悟られた方は、全て同じ内容を語っているのです。この目まぐるしく変転万化していく世の中において、また苦しみ多き物質的、現象的世界において、この地上で人々が安心し、大調和して暮らしていけるようにするために、そして霊的真実の世界に向かっていけるようにしていくために、私も、この「全一」のために生きていくのです。