四、変化の流れ
四、変化の流れ
すべてのものは、変化していきます。物質は、日々変化していきます。
目に見えない世界の存在さえも、絶えず変化していきます。
変化の流れを止めることは、誰にも、いかなるものにもできません。
すべてのものは変化していくということだけが、全ての世界で唯一の変わらぬ真実となっています。ですから、自分の今の状況というものも必ず全てが変化していくということを表しているのです。
私達が生きている物質世界は、その変化していくことが一番顕著になっている世界です。時の流れが決して止まらないことと同じ様に、生命の形態というものも、その時々の流れに合わせて、知らないうちに次々と変化をしていくのです。そして、気がつくと、今ある環境や世界そのものが、すっかり変化していることに驚いてしまいます。そして、その流れていく方向は今後も変わらずに、同じ方向へ絶えることなく流れ続けていくのです。
その変化の姿は、次の通りです。
季節の流れは、春から夏へ、そして夏から秋、秋から冬へと移り変わっていきます。
太陽は東の空から昇り、総てのものにエネルギーを放ちながら上昇していきます。正午頃、太陽は一番高い位置に上がり、そして少しずつ下り始めていきます。やがて、西の方角に向かい、紅く美しい夕暮れの後、太陽は沈んで行くのです。
月は、新月から上弦へと移り、そして上弦から満月へ移って行きます。そして、その満月もやがて下弦の月へと移り変わっていくのです。
植物は、まず、一粒の種が地中深くから芽を出していきます。そして、すくすくと茎を伸ばしていき、蕾を造り、花を咲かせていきます。その後、花は種を造り、やがて、すべてが枯れていき、種が大地に落ちて行きます。
人間は、両親の愛により、この世に生を受けます。そして、幼少・子供時代を過ごします。そして、両親から多くの物事を頂きながら成長していきます。青年時代になると、社会を通して多くの事を学んでいきます。そして、多くの希望と不安を抱えながら、自分の自我が形成されていき、人生の基礎が造られて行きます。
社会へ出て、愛する人と巡り合うことによって、結婚して子供を育てていきます。そして子供も成長して、やがて親から離れて行きます。それと共に、自分の社会的責任も果たされて行くことになります。やがて、肉体が衰えていき、死を迎えることになっていくのです。
「光陰、矢の如し」と言いますが、永遠の流れの中で、人生というものを眺めた時、本当に、人生というものの短さ、はかなさに驚きを感じてしまいます。
人生は短いものです。誰でも、やりたいこと、したいこと、やらなければならないこと、やり残したことがたくさんあります。たとえ、人生が百年であったとしても、それは同じことでしょう。しかし、人間には救いがあります。なぜならば、人間は生まれ変われる存在だからです。人間というものは、どういう状況になっても、変化していく存在だからです。これは覚悟を定めるということなのですが、この覚悟さえできれば、人間は何が来ても大丈夫です。これは最終的な極論なのですが、この覚悟が非常に重要なことなのです。たとえ、自分の人生が改善されていかなかったとしても、それで自分の人生が全くの無駄であった訳ではありません。自分が苦しんだことによって、過去世のカルマを減じることができますし、自己の生命体を浄化することもできます。そして、人間は、動物や虫などに生まれ変わるのではなく、再び、過去よりも進歩した、より良い生命体を持った人間として生まれ変わることができるからです。ここに人間としての特権があります。
そして、全てのものが、再び繰り返されていきます。
厳しく辛い冬の季節が過ぎ去れば、必ず、生命溢れる希望の春が訪れて来ます。
太陽は、再び東の空から昇り、素晴らしい光を全世界へ放ってくれます。
月は、再び新月となり、暗い夜空を煌々と照らしてくれます。
植物は、冬の間しばらく休んだ後で、時期が到来すると、新しい芽を大地から吹き出します。
今の状況も、必ず変化していきます。決して同じようにはなりません。そして、時の流れは、その圧倒的な力によって、すべてを押し流しながら進んで行くのです。決して川の流れというものは、後戻りすることはないからです。
太陽が沈み、その夜が過ぎれば、次の朝、再び太陽が昇って来るのです。
冬が過ぎれば、必ず春が訪れて来るのです。
下弦の月の後には、必ず新月が現われて来るのです。
そのように、必ず、時期が巡って来ますので、たとえ、どんな状況、状態になったとしても、決して諦めることなく、その状況の中で、自分ができる最善のことを果たしていけばよいのです。自分が出来る事を全て行いながら、目に見えない存在に対して祈っていくことです。自分のカルマを自覚していくことです。今までの自分と、過去世の自分を反省していくことです。この世の中の全てのことは、人生そのものが、自然の働きを通して、全部、自分に直接、帰って来るようになっていますので、そのために誰か他の人に教えてもらわなくても、全部、自分で分かるようになっているのです。そして、自分の人生の全てを、目にみえないものに任せていくのです。自分を生み、育て、生かしてくれた大生命にすべてを委ねていくことです。自分という存在を生かすも殺すも、所詮、小さな人間には分りません。人間は、基本的に明日のことさえ分からない存在だからです。私達は、日々、自分よりも大いなるものに祈りながら、自分を偽らずに、自分の出来ることを行っていくだけです。
また、人間という存在は、誰でも最期は死んで行く存在です。しかし、そうなることもまた自然の現象の一つです。それさえも、すべて自分の心に素直に受け入れて、寿命が尽きていく最後の最後まで生きていくのです。しかし、たとえ肉体が死んでしまっても、大丈夫です。人間は輪廻転生している存在ですから、死ということは、既に何十回も過去に経験済みのことだからです。そういう覚悟の心境になって、日々を過ごしていけば、時の流れそのものが、自分に一番、良い方向へと自分を連れて行ってくれるのです。そうすると、その大生命という川の流れに、自分が自然に流れていくことができます。
しかし、絶対にしてはならないことがあります。それは自殺です。自殺だけはしてはいけないことなのです。なぜならば、自殺は大生命に対する罪になってしまうからです。自殺をすると、自分のカルマをより深くしてしまい、それが来世にまで強く影響してしまうからです。人生で大切なことは、どんな時でも、私達は大生命という大きな味方と一緒であり、決して一人ではないということを知ることなのです。
たとえ、今回の人生が終わっても、人間は時期が来れば、両親を決めて、再びこの世に生れてくることになっているのです。その時は過去の人生もきちんと勘案され、前世で獲得した多くのものを継承しながら、再び新しい人生が始められていきます。まだまだ、私達の永遠の旅は、全てを学び尽すまで、今後も長く続いて行くことになっているのです。
旅の目的は、自己の魂の浄化と成長であり、同時にこの地上世界の向上と奉仕です。
人の使命と目的は、その大きさも役割も、皆、一人一人異なっています。また、その人の課題とカルマの大きさも、一人一人異なっています。とても一回の人生では、全てのカルマを解消して、釈迦やイエス・キリストのように解脱し、涅槃して完全な悟りに至ることは不可能なことです。最終的には、総ての人間のゴールは釈迦やイエス・キリストのようになっていくことですが、一回の人生ではそれは明らかに無理なことです。そのために、一回一回、そのゴールに少しずつでも近づいていく為に、この地上に生まれてくることになっているのです。
前世の記憶は潜在化してしまうので、ほとんど分からなくなってしまいます。しかし、自分の習得した技能、技術は失われていくことなく継承していきますので、毎回、過去世の土台を踏まえて生まれてくることができるようになっているのです。それがその人の現在の才能であり、特技であり、技術であり、興味関心となっています。ですから、人間は少しずつ、確実に一歩一歩、進歩前進していける存在だということ表しています。
人間のゴールは、釈迦やイエス・キリストのように進化・奉仕していくことですが、人生は短く、数十年か、長くても百年位です。ですから、そのようになっていくために転生というシステムが総ての人々に設けられたのです。

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