ギリシャの風に吹かれて

(1)クレタ島
すっかりソクラテスとプラトン病に罹ってしまった私は、気分を変えようと思い、クレタ島へ海洋クルーズをすることにしました。私は船に乗り、大きな海を進んでいく時に、前から来る風を自分の顔と全身に受けながら、浴びていくのが好きなのです。そして、ギリシャの船は、どれも姿が素晴らしく美しいのです。 

ギリシャには多くの美しい島々があり、多くのフェリーが出ていますので、時間的な余裕がある方は、島々への船旅も素晴らしい思い出となります。

ギリシャは雨が少ないので、ほとんどいつも快晴でした。
ピレウス港から私が乗船した大きな白いフェリーは、クレタ島へ向かって快適似進んでいきました。とても一月とは思えないほどギリシャは暖かく、波は穏やかで風は爽やかでした。

「エーゲ海は、とってもエーゲ! 」

白いフェリーは、けっこうなスピードでエーゲ海を突き進んで行きました。私の身体と頭の中の全ての汚れたものが、自分自身の身体に直接受ける心地よい風に合わせて、全て流されていくようでした。

出港から約9時間後に、クレタ島の西側のハニアという港に着いたのです。
ハニアで私は一泊しましたが、ここでは何も私は感じることがありませんでした。
私がクレタ島へ訪れたのは、せっかくギリシャまで来たのだから、ちょっとクレタ島の土だけでも踏んでみたいという気持ちだけで長居するつもりは全くありませんでした。
ハニアは、人もあまり多くなく、非常に静かな感じの港でした。私には穏やか過ぎて、とにかくクレタ横断を第一に考えたのです。翌日、私はバスに乗り、イラキオンへ向かってハイウエイを走っていったのです。
バスからは、オリーブの果樹園が多く見ることができました。

「ここでアルバイトしないの?」

「え? ここで何のアルバイトができるのですか?」

「オリーブのアルバイトですよ」

「私は、そのつもりはありません」

こういう会話が何度かあり、私は少し驚きましたが、多くの長期旅行者がクレタ島へ出稼ぎに行き、ここでオリーブのアルバイトをして旅費を稼いでから、再び旅を続けていくということを聞きました。私が御会いしたクレタ島の人々は、親切で穏やかな人ばかりでした。

バスに乗っている内に、いつの間にか、私はイラクリオンに着いていたのです。

「はや~」

意外とクレタ島が小さい島であることに、私は驚いてしまいました。
ちょうどそこに、竹村健一さんに非常によく似ている人が私の前に現れたのです。
その男性は、奥さんらしき女性と一緒でした。
その竹村先生にそっくりな人は、どうも何かの研究をする為に、トルコに訪問している様でした。そして、トルコの事柄を、私に対して色々と教えてくれたのです。

「トルコには、まだまだ、人に知られていない所がたくさんあるのですよ」

「そうですか。有難うございます」

午後二時半頃、私はクノッソスの宮殿の前に着き、これでゆっくり迷宮を見学できると思い、入場券を買おうとしたのです。

「チケット、ワン、プリーズ」

「オンリイ、サアティ、ミニッツ、OK?」

「何? 三十分だけ?」

「イエス」

「ちょっと、こんなに早く閉まる場所なんて、どこにもないよ!」

私はしかたなく、チケットを買い、大急ぎで見学することにしたのです。
時間がなかった為に、竹村健一先生の分身のような人とは、それっきり別れてしまいましたが、本当に不思議に思えたのです。

「あれは、竹村先生のバイロケーションではなかったのか?」

バイロケーションとは、自分が一つの場所にいながら、もう一人の自分が同時に全く別の場所に出現することです。それは全くの同一人物なのです。

今でもあの時の男性は、クノッソス宮殿とトルコの素晴らしさを、私に知らせてくれた何かの御導きのように感じる時があるのです。

私は、どの通路を、どのように歩いたのか全く覚えていませんが、複雑怪奇な地下室と通路、階段、円柱を多数持つ、石造りの巨大で広大な宮殿は確かに存在していたのです。

「まさしく、ここは迷路だ!」

宮殿全体が、ほとんど廃墟となっていて、私には、どこがどこだか良く分りませんでした。しかし、直接、廃墟になった遺跡の中に入ることができるということだけでも私にとって素晴らしい体験でした。
クレタ島は、紀元前25世紀~紀元前14世まで、エーゲ海の中心地として、このクノッソス宮殿を築き、繁栄していたのです。
この宮殿の「王妃の間」の正面壁画には、地中海を自由に泳ぐ、非常に躍動感のあるブルー・イルカが描かれています。また壁画の文様や鮮やかな色彩は3600年前の世界が甦ってくるように描かれていました。
鮮やかな色のブルー・イルカが、そこで今でも自由に楽しく泳いでいる様な感じが伝わってきました。
「3600年前、ここは、動物と生物の楽園だったに違いない! 今でも海が非常に美しいのに、当時は、一体どれほど美しかったことか!」

この地域に生きる初期の人々の為に与えられた地中海性気候とは、なんと素晴らしい自然の恵みであったことでしょう! 思わず、この地に生きる人々が神々から祝福されているように感じられてしまいました。

このクノッソス宮殿は、人身牛頭の怪物ミノタウロスを閉じ込めさせる為に、ミノス王が造った迷宮でした。
ミノタウロスは、上半身が牛で、下半身が人間という半人半獣の怪物です。
こういう生物は想像上のものとされていますが、古代エジプトのスフィンクスのように、半人半獣の存在が、歴史上には存在していたのです。

現在の私達のような人間になっていくプロセスにおいては、様々な状態を経てきています。生物の進化学においては、いわゆる「ミッシング・リンク」は見つかりませんが、生物の黎明期においては、スピリチュアルな世界から動物や猿人に対して、何らかの働きかけがあったであろうと考えることは自然なことです。
そして、その原初の動物や霊長類達の内分泌腺を刺激していくことによって、様々なホルモンを出させながら、少しずつ、進化させていったことが窺われるのです。
そのプロセスにおいて、一時的に、半人半獣という時期があったとしても決して不思議なことではありません。現在のような遺伝子実験の発展した時代では、それらを超える実験が実際に行われているからです。遺伝子コードの発見と、遺伝子工学の発展により、人類は既にこのレベル以上に達しているからです。

「人類はやっと、過去の神々のレベルに達することができたのだ!」

つまり、過去の姿が現在であり、現在の状態が過去と同じということを表しているのです。エジプトのスフィンクスは、そうした時代が存在していたということを人類に示している生命進化という歴史の記念碑でもあります。

当時、ミノス王は、地中海世界を支配していて、毎年、アテネを始めとする様々なギリシャ都市から、多くの貢物を献上させていました。
そして、9年に一度、アテネから、7人の若者と7人の処女が、ミノタウロスが食べる人身御供として贈られることになっていたのです。

ここで有名なのが「アリアドネの糸玉」の話です。
ミノス王に献上された若者の中に、テーセウスという王子がいました。テーセウスは、怪物ミノタウロスを倒す為に、犠牲にされる者の中に入っていたのです。ミノス王の娘アリアドネは、王子を一目見て恋をしてしまい、王子に麻糸の玉と短剣を渡したのです。テーセウスは、迷宮の中で迷いましたが、アリアドネによって渡された糸玉を思い出し、それを入口に糸を引っ掛け、糸を解きながら進んで行ったのです。すると、怪物ミノタウロスに遭遇しました。テーセウスは、短剣でミノタウロスと戦い、ミノタウロスを倒すことに成功したのです。そして、テーセウスは、帰りの時には糸を手繰り寄せていきながら、アリアドネと共に無事に迷宮から脱出することができたのです。

「テーセウス、おめでとう! ギリシャの英雄、万歳!」
「それでアリアドネ様は、テーセウスと、めでたく結婚したのですよね?」
「それが、アリアドネ様は、テーセウスと一緒にならなかったんだ」
「え、なぜ?」
「その後、アリアドネ様はミノス王がいるクレタ島へ戻り、ミノタウルスを御供養して生きることを選んだのさ」
「え~、最後だけがうまくいかない、悲しきラブ・ロマンスねぇ~」

ミノタウルスは半人半獣の怪物ですが、私達人間も、理性と獣性、霊性と肉との混合体であることを知り、いかにして、理性と霊性の支配の下に成長していくか
ということが、一人一人同様に問われている問題でもあります。
それにしても、このクノッソス宮殿を発見したイギリス人、アーサー・エバンズは幸運な人でした。何てったって、たまたま、別の小物を探し為にこの地へ訪れ、自分でも想像もしていなかったミノア文明(クレタ文明)の巨大な宮殿を、いきなり大発見してしまったのですから!



(2)イスタンブルの波動
日本人の画家は、私が三日間でクレタ島から帰ってきたことを知ると、たいそう驚いていました。

「はや! 早すぎる!」

私も少し早かったかな、と思いましたが、少しでも先を進むのが私の目的ですのでしかたありません。
アテネは私にとって、ベース・プレイス(基点)なのです。
アテネからは、色々な所に行ける場所なのです。
島々はたくさんありますし、イタリアはもちろん、トルコ、ユーゴスラビア(当時)へも行けました。もちろん、私達にとってあまり馴染みのない国々も行くことができたのです。
私は、せっかくここまで来たのだからと思い、トルコのイスタンブルへ行く事を思いついたのです。ユーレイル・パスは範囲外の国ですので、バスでいくことにしました。今回もクレタ島同様、ちょい旅気分でした。

アテネから、テッサロニキ経由で深夜バスに乗って行こうとすると、たまたま日本人が一人いました。やはり、日本人がいると、何かの時に、心強いものです。
その日、疲れが溜まっていた為に私の体調は、最悪でした。
その日の深夜バスに乗ってみると、大勢の旅行者で溢れ、バスの中は万員状態でした。
途中、幾つかのバス・ターミナルでトイレ休憩を取りながら、イスタンブルへ向かって進んで行ったのです。

何か、今迄の国へ行くのと何か根本的に違う感じが漂っていました。
長いバス旅でした。それまでの鉄道の旅とは、空間も雰囲気も全く異なりました。
やがて、ギリシャとトルコの国境に着いた時に、テレビが映っていました。

「あれ、何か見た事があるようなアニメだ!」

「あのアニメは、宇宙戦艦ヤマトだよ!」

「ひょえ~! こんな所まで来ているのか。凄いな日本のアニメは!」

もちろん言葉は、トルコ語ですから全く分かりませんが、日本人の造ったものが、遠く離れたトルコで、それも深夜に放映されていることに対して、何だか無性に感動したのです。

次のサービスエリアに着いた時に、私はトイレに行こうと思ったのです。

「ちょっと、トイレに行って来るので、悪いけど私の荷物、見て貰えますか?」

「うん、いいよ」

私は、同乗していた日本人に私の荷物を頼み、暗い中、トイレに行ったのです。

私はトイレに入ったのですが、大きい方がしたいのに、それが、なかなか出ませんでした。私は疲れてしまって身体が動けなくなっていたのです。

「おい! バスが出るぞ!」

一緒にいた日本人が、私のトイレを探して、飛び込んで来てくれたのです。
バスは、今にも出発寸前でした。
その時、私の意識は、半分ぐらい朦朧としていた状態でした。そして、何とか、バスに辿り着いたのです。この時が、ヨーロッパで最大の危険な時でした。
私がバスの中に入ると、バスは、すぐに出発したのです。

「本当に危かったな!」

私は、自分がどうなっているのか、その時、分からなくなっていたのです。
この時、もし私がトイレの中に入っていて、日本人が飛び込んで来なければ、バスは私を置いて、荷物と共にイスタンブルまで行っていたのです。

「私は、人に助けられた・・・」

この時のことを思い出すと、今でも冷や汗が出てきてしまうのです。

イスタンブルに着いたのは、出発から22時間後の早朝でした。電灯の数が少なかったためか、私には、イスタンブルの街はなぜか、薄暗く感じられたのです。
確かに日本人とは異なる外国の人々がたくさんいました。しかし、金髪の人々はいないようでした。そして、何となく地味で、抑制されている感じがしたのです。
そこは、今迄見てきたヨーロッパの雰囲気と全く異なる世界でした。

「ここはヨーロッパじゃない。そうだ、ここはアジアなんだ!」

私は、イスタンブルという土地が、非常に特殊な場所であるということを、その時初めて、身体で感じたのです。ギリシャとトルコの間には、大きな何かがあったのです。それは心の世界の違いでした。民族と宗教、歴史と文化伝統というものの違いでした。その地に住む人々の心、そして、その人々を養い生かしている大地そのものの心の波動の違いというものが、その世界を形成する全体の雰囲気となっている様に私には感じられたのです。

「昨日のことがあるから、少し、ここでは慎重にしなければ・・・」

せっかく、イスタンブルに着いたというのに、私には、暗雲が立ち込めたような気分に包まれてしまったのです。

宿は日本人から紹介された安くても、それなりのホテルに泊まることができました。しかし、私にはギリシャの光のようなものが全く感じられず、全く見ることができなかったのです。

「今回は、どうも自分に合っていないようだ・・・」

私の感覚とイスタンブルの街の雰囲気とが上手にマッチできなくて、自分の中で、どのように対処してよいのか分らなかったのです。

「世界には、チャンネルの異なる様々な世界があるということか」

世界には、キリスト教世界、イスラム教世界、仏教世界、ヒンズー教世界、儒教世界、神道世界等、様々な宗教世界が存在しています。
イスタンブルこそ、私にとって初めての本格的イスラム教世界との出逢いの場所だったのです。

「イスラムって、何?」

この時のカルチャー・ショックは、生涯忘れることができないものでした。
一つの文化圏から、他の異なる文化圏へ行く時に、カルチャー・ショックを体験します。ギリシャからトルコへ移動する時に、私達はそれを感じるのです。

ヨーロッパ大陸と、ユーラシア大陸との二つの大陸が合わさるようにしているイスタンブルは、非常に歴史的な場所です。両者の間を隔てているのがボスポラス海峡です。この海峡の南にあるのがマルマラ海で、北にあるのが黒海です。そして、この二つの大陸を結びつけているのがガラタ橋です。その橋は火災の為、失われてしまい、現在では、新しいコンクリートの新ガラタ橋が日本によって造られました。
トルコの人々は非常に親日的です。私達日本人は、あまりトルコのことをよく知りませんが、トルコの人々は、日本のことを非常に良く捉えていてくれて驚いてしまうほどです。
日本語を学んでいる人も多く、商売では、「日本」と名前がつけば、それで売り上げが伸びるとまで言われているほどです。

「日本の○○だよ~。さぁ、いらっしゃい、いらっしゃい!」

「おじさん、これ、メイド・イン・チャイナって書いているよ」

「えへへ、でも売れるから、いいの!」

そして、トルコの国民性というか、受けた恩義を非常に感謝して、それを覚えていてくれるのです。それは素晴らしいことです。

・1890年9月16日の夜半、和歌山県串本沖、樫野埼海上において、オスマン・トルコ軍艦、エルトゥールル号が遭難したことはトルコでは非常に有名な出来事です。エルトゥールル号は暗礁に激突し、座礁して沈没しました。その時、串本町樫野の住民達は、総出で懸命な救助活動と生存者の介抱を行いました。(69名が救出、司令官を含めて587名が死亡)
・日露戦争で日本が大国ロシアに勝利したこと
・トルコ地震の時の仮室住宅、テント、毛布等の緊急援助活動

「私達は、日本の人々がトルコと助けてくれたことを決して忘れません!」

旅行から帰国した後でも、私はトルコの人々から、この言葉を聞きました。

私は、これからの自分への戒めとして、私達は自分達のことを良く考えてくれている人々に対して、もっと自分のできる範囲で、トルコ(私達に対して、好意を示してくれている人々や国々)に対して、協力をしていくことが大切であると思いました。

トルコ共和国の首都は、内陸にあるアンカラです。しかし、マルマラ海と金角湾に囲まれた、この小アジア(アナトリア半島)とヨーロッパ大陸の接点にあるこのイスタンブル(旧市街)は、約2000年の歴史ある街です。そして歴史的な大事件が起きるごとに、この街は名前を変えながら、生き伸びて来ました。

ギリシャ・ローマ時代においてはビザンティオン、330年、東ローマ帝国においてはコンスタンチノープル、そして、1453年、オスマン・トルコ帝国においてイスタンブルとなりました。(日本語ではイスタンブールと伸ばしますが、標準トルコ語では最後の音節は長母音化されない)
長い歴史の中では、この街を支配する為に、多くの戦争があり、文明の興亡があったのです。この街は、まさに東西文明が出会い、衝突し、そして融合していった歴史的な場所でした。 
そのために、この街を支配する国が変わるたびに宗教が変わりました。
オスマン帝国の征服によって、それまでのキリスト教(ギリシャ正教)は、イスラム教に大きく変えられ、全ての建物がイスラム様式に造り変えられていったのです。
イスタンブルを訪れると、まず私達が最初に目にするのが、アヤソフィアと、ブルー・モスクです。
聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア)は、オスマン帝国支配直後に、イスラム教のモスクに造り変えられたものです。アヤソフィアとは、「神の知恵」という意味です。中に入ると、ギリシャ正教の時の名残として、幾つかのモザイクが残っています。
この周辺には美しい公園があり、私達に潤いと安心を与えてくれる所でもあります。そして、アヤソフィアのすぐ近くに、ブルー・モスク、そしてトプカピ宮殿があります。トプカピ宮殿には無数の宝石がありましたが、中でも世界最大とも言われる巨大なダイヤモンドには息を飲みました。

「すっげぇーなぁ~。くぎズケ!」

掌の中心にそのまま乗るような大きさをした巨大なダイヤモンドの前で、私は、一人、時を忘れて佇んでいたのです。
また、国宝館の中には、イスラム教の創始者である預言者マホメッドが使用していた衣装、生活用品などが展示されていました。

「マホメッドさんの顔は誰も知らないけれど、やっぱり実在していたんだなぁ。やっぱり、マホメッドさんは偉大な人だったんだ!」

マホメッドという人が、後世に与えた影響力とその功績から、私は素直に感じることができました。

ブルー・モスクはイスラムの代表的シンボルです。
正式名は、スルタン・アフメット・ジャミイ。
スルタン・アフメット一世によって造られたジャミイ(寺院)ということです。
内部にはブルーのイスラミック・タイルが多く用いられていることから、ブルー・モスクと呼ばれました。
高さ43メートル、直径23メートルのドームが建物の中心にあり、その四方を少し低い半円のドームが包むようになっていて、そのドームから更に小ドームが囲むようにして全体が形成されています。
そして、ブルー・モスクには、6本のミナレットという尖塔が立っています。アフメット一世が、メッカに巡礼する時に、アルトゥン(黄金)のミナレットを創るように命じたのが、建築家がアルトウ(6)のミナレットと聞き間違いをした為に、6本のミナレットが造られたと伝えられています。
ブルー・モスクの内部は少し薄暗い感じですが、ステンドグラスが控えめに、その色を静かに私達に投げかけてくれます。何と言っても、ドームの空間の大きさに驚かされてしまいます。上のほうに、イスラムの文字が書かれています。
たぶん、コーランに書かれている言葉なのでしょう。

「ここは、祈りの場所なのだ!」

思わず、メッカのある方向に頭を下げてしまう感じになりそうでした。
イスラム教徒の人々は、一日に五回、メッカの方向に頭をさげ、礼拝し、祈りを挙げなければならないのです。その時、この空間は、人々から発せられる大きなエネルギーと声の振動によって、イスタンブルの大地も振動していきます。そして、それらの両者によって、時間軸を超越した神秘的大宇宙空間の中に溶け込んでいくのです。それはイスタンブルという、まぎれもないアジアから発せられた巨大な波動でした。

ヨーロッパ編

中近東編

1.イスラエルへの出発
2.イスラエルでの一か月
3.ユダヤの神殿と、イスラムの聖地
4.トイレ探し大冒険 イン エジプト
5.ルクソールでの太陽の夢

アジア編

1.カラチの出来事
2.ダライ・ラマとの出逢い
3.ラダック・レー(1)マンダラ祭
4.ラダック・レー(2)出逢いと発見
5.ラダック・レー(3)事故
6.スリナガルの夢
7.サールナートの情熱(未完成)
8.聖地バラナスィ
9.フィリピンでの治療