ファチマの奇跡
私は、リスボア(リスボン)で出会った一般の青年に、ファチマについて質問しました。
「あなたは、ファチマの奇跡を知っていますか」
「もちろん、知っているよ。聖母様が出現されて、太陽が回転した奇跡だよ」
「あなたは、そのファチマの奇跡を信じますか?」
「もちろん、信じるよ。なぜならば、それはフクションではなく事実だから」
私は、その一般の青年の言葉が、未だに忘れることができません。
なぜならば、その青年が話すほど、リスボアのほとんどの人々が、ファチマの出来事を事実として受け入れているからです。
リスボアからバスに乗り、私はファチマへ向かいました。
田舎道をバスは、ゆっくりと走り、約40分位でファチマに着きました。
ここはローマ教会も「奇跡」を認めた公認の場所です。
そこは、30万人も収容できる大広場でした。
「広い! 広過ぎる!」
そして、その一番奥には、まるでマリア様が立っている様な、美しいバジリカと呼ばれる大聖堂が真直ぐに立っていたのです。
「これは、素晴らしい! そして、美しい!」
この場所まで来るのに、膝を大地に付けたままの状態で、膝を引きずり、祈りながら歩いて来る人々もいると聞きました。
私はバジリカの中へ入りました。
入ると、すぐに美しいステンドグラスが目に入りました。
「太陽の奇跡だ!」
それには、あの太陽が回転した奇跡が描写されていたのです!
私が、その赤い太陽から放射される鮮やかな光のグラスを見ていると、自分の身体全体が、ガクリと、自然に膝が地面に落ちてしまったのです。
ちょうど祈りの声が、内部全体を包んでいました。
私は、自然に、両手をこぶし状に一つに合わせ、聞こえてくる祈りの声と共に一緒に祈りました。
それは、素晴らしい瞬間でした。
そして、その時、私の身体は、なぜか急に熱くなったのです。
そして、私はバジリカの奥の方へ進み、祭壇の前に立ちました。
ファチマの祭壇は、とても美しく、清々、かつ、荘厳なものでした。
ここには、カソリックの人々の聖母マリア様に対する尊敬と崇敬、そして思慕の念が教会全体に溢れているのです。
「聖なるものに対する信仰ほど、素晴らしいものはない!」
私は、人間が素晴らしいものに対して、求める気持ちは同じであることを確認したのです。
1917年、5月13日、それが起きたのは、ちょうどロシア革命が起きた直後であり、同時に第一次世界大戦の真最中でした。
それは、まさに世界が大激動している最中に、ポルトガルの静かな田舎で羊の番をしていた三人の子供たち、ヤシンタ(7歳)、フランシスコ(9歳)の兄妹と、いとこであるルチア(10歳)の前に起きた出来事でした。
3人の牧童がコーワ・ダ・イリアの丘の上で遊んでいると、昼頃、突然、空が輝き、木の上に貴婦人が出現したのです。それは、現在では、バジリカの近くに建てられた「出現の礼拝堂」がある場所でした。
そして、その美しい貴婦人は、3人の牧童に、こう告げたのです。
「これから10月13日までの5か月間、毎月13日に、ここへ来て祈りなさい。私が誰であるか、また何を望んでいるか、後で御知らせしましょう。皆さんは、冒涜の罪を償う為、そして罪人の回心の為に、進んで犠牲を捧げ、神様が皆さんに送ろうとしておられる苦しみを喜んで忍ぶことを約束して下さいますか」」
「はい、承知しました」
一番、年長のルチアが答えました。
「世界が平和になり、戦争が終わるように、毎日、ロザリオを唱えなさい」
イエス キリストが誕生された時も、一番、最初に、その知らせを受けたのは、三人の羊飼いたちでした。
三人の牧童は、実は一年前の春から、天使の出現を3回受けていたのです。
しかし、この時は、その天使ではなく、非常に美しい貴婦人でした。
二回目の、6月の13日の午前11時には、同じ場所で、貴婦人は、このように告げたのです。
「地獄へ行く魂が多いので、彼等の為に、祈りと犠牲を捧げなさい。フランシスコとヤシンタは、天国へ召されますが、ルチアは、長くこの世に留まり、聖母を知り、聖母を愛し、聖母の汚れなき御心に対する信心を広めていくことを求めます。そして、新しい戦争を避ける為にロシアに奉献させること、そして罪の償いの為に、毎月、初土曜日に聖体拝領を受けなさい」
3回目の、7月13日には、こう、告げました。
「全世界に平和をもたらす為に、また、戦争を終わらせる為に、毎日、ロザリオの祈りを唱えて下さい。そうすれば、私は、私はあなたがたを助けることができます。10月には、私の名前と希望を申し上げます。人々が誰でも信じるように奇跡を行いましょう。皆さんは、罪人の為に犠牲になりなさい」
8月13日になると、三人の牧童は、警察に捕らえられてしまい、警察から厳しい尋問を受けたのです。そのために、コーワ・ダ・イリアへ行くことができませんでした。
しかし、15日に、村の近くのヴァリニョスで4回目の出現を受け、告げられました。
「罪人の為に祈りなさい。たくさんの祈りを唱え、犠牲を捧げなさい。たくさんの魂が地獄へ落ちています。誰もあの人達の為に、身を犠牲にする人がいないからです」
五回目の、9月13日には、3万人もの人々が集まり、貴婦人は、このように告げました。
「毎日、ロザリオを唱えることと、10月には、幼きイエスと、聖ヨゼフ、そして、カルメルの苦しみの聖母マリアが来られます」
最後の御出現である6回目の10月13日には、大雨が降る中、約6万人もの群衆が集まり、貴婦人は、このように告げたのです。
「私はロザリオのマリアです。私の栄誉の為に、ここに聖堂を建てて下さい。毎日、ロザリオを唱えなさい。私が参りましたのは、生活を改めなければならないことと、恥ずかしい罪を犯して、主の御心を悲しませないことと、尊いロザリオの祈りを唱え、罪を悔み、償いを果たさなければならない事を教え諭す為です。戦争は、やがて終わるでしょう」
この日、目に見える奇跡があるだろうと集まっていた群衆は、動き出した太陽に気が付きました。その時、太陽は色を変えながら、風車のようにグルグル回転し始めたのです。そして次に、太陽は、通常の位置から移動して、直接、群衆の方に向かって落ちて来るように見えました。
群衆は驚き、悲鳴を上げて地に身を伏せました。
その後、群衆が空を見上げると、太陽は、いつもの位置にあったのです。
しかし、この時、群衆は自分達の身に起きた事に驚きました。
「衣服が乾いている!」
「ビショビショになっていた衣服が、すっかり乾いてしまった!」
豪雨が降った為に、濡れてしまった群衆の衣服も大地も、すっかり、乾いていたのです。
これが、ファチマの太陽の奇跡でした。
その後、貴婦人の言葉通り、1919年、4月4日、フランシスコは天に帰りました。そして、1920年、7月20日、ヤシンタも天に帰りました。
「僕、怖くないよ。だってマリア様のところへ行くのだから」
フランシスコは、そう言って、喜びながら旅立って行きました。
ヤシンタは、素晴らしい言葉を私達に残してくれました。
「多くの人を地獄に追いやる罪は、肉の罪です」
「永遠がどんなものであるか分かれば、自分の人生を変える為には、どんなことでもするでしょう」
私はファチマの大聖堂の中に入り、深い祈りを捧げました。
そして、バジリカの脇に細い道があり、そこを入っていくと、フランシスコとヤシンタの家があり、兄弟が住んでいました。私は、一緒に写真を撮ってもらい、その家の中に入りました。すると、そこに、フランシスコとヤシンタの御墓がありました。
「ファチマの奇跡は、本当のことなのだ!」
私は、静かにその場に佇み、祈りを捧げたのです。
そして、ホテルへ戻ると、私の指に何か、ヤケドのような痕が残っていたのです。
それは、私が最初に教会の中で祈りを捧げた時に、両手を組んだ時にできた指の痕だったのです。
「こんなことがあるのだろうか?」
それは、ファチマが私にくれた素晴しい贈り物でした。
貴婦人は、三人の牧童に三つの預言を与えました。
その内の二つは、既に成就しています。
フランシスコとヤシンタが天に帰ってしまった為に、第三の秘密を知っているのは、ルチアだけになってしまったのです。
第一の預言は、第一次世界大戦の終了であり、第二の預言は、第二次世界大戦の預言でした。パウロ6世がファチマ第三の預言を初めて読んだ時、そのショックのあまり、その場で卒倒してしまったと伝えられています。それほど第三の預言は、人類にとって重要なメッセージが述べられている為に、その後、バチカンは、ファチマ第三の預言を完全に封印してしまったのです。
ルチアは、まず、孤児院に入りました。その後、1925年、聖ドロテア修道女会に入り、そして、1948年、カルメル会の修道女になりました。
1981年、5月13日、ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世がイスラムの過激派の一員によって狙撃されるという事件が起きてしまいました。幸いにも、強靭な体力の持ち主であるヨハネ・パウロ2世は、命に別条なく助かりましたが、その後、法王は、このように語りました。
「5月13日に私が大いなる苦難を受けたことは、ファチマの聖母と関係がないことではない」
そして翌年の1982年5月13日、ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世は、ファチマを訪れました。ヨハネ・パウロ2世は、聖母マリアを深く崇敬する方でした。そして、法王は、第三の秘密を知っている、唯一の生存者のルチアと面会したのです。
その後、世界は激動の時代へと突入してしまったのです。
1980年、イラン・イラクで長い戦争が始まり、そして、1990年、8月2日、湾岸戦争へと発展していきました。
その戦争は、大きく分けて、西洋諸国とイスラム諸国との構図になっていました。
この時、日本もアメリカ合衆国を中心とする多国籍軍の陣営に入り、主に掃海艇による機雷除去という後方活動を行いました。
また、ローマ法王に対して、ファチマ第三の秘密を開示する為に、飛行機がハイジャックされるという事件も起きました。
2001年9月11日、ニューヨーク・マンハッタンのWTCビル事件が起き、アメリカは、アフガニスタンと、イラクに戦争を開始することになったのです。
世界において様々なことが起きて来ましたが、ファチマ第三の秘密を知るルチアは、地上での全ての役目を終え、2005年2月13日、97歳で天に帰ったのです。
そしてヨハネ・パウロ2世も同年4月、天に帰られました。
現在、三人の御墓は、バジリカ大聖堂の中に安置されています。

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