ユーレイル・パスの旅

(一)私の旅行術
私はヨーロッパを、総てユーレイル・パスを利用しながら、旅をしていました。
私が訪れた当時は、まだ欧州連合ができていない時代でしたので、東欧諸国は行くことができませんでした。
現在ではユーレイル・グローバル・パスが利用されていますので、以前よりもずっと広範囲に移動することができるようになりました。ユーレイル。グローバル・パスとはヨーロッパ人以外の外国人の為に発行され、期間内であるならば、ヨーロッパ21カ国の鉄道を自由に利用できる通行許可証です。期間内であれば、何度でも乗り降りすることができる非常に便利なものです。
日本のワイド周遊券のヨーロッパ版のようなものです。
また、ユーレイル・グローバル・パス以外でも、便利で御得な各周遊券が、その国に合わせて幾種類も発行されていますので、それらを利用すると良いと思います。 
1981年の12月から82年の3月まで、私はそれを利用しました。最初のパスは日本で購入しましたが、現地でも購入できることを知りましたので、私は一か月延長することにしました。これさえあれば、ヨーロッパの大部分を手に入れたような気分になることができるから安心です。

欧州統合によって、ECからEUROに変わった為、利用できる鉄道も拡大しました。これは本当に素晴らしいことです!
私達の世界が拡大して、様々な国々の間を自由に往来できるということは、やはり、人間にとって幸福なことです。そして、他の国々を見ることによって、たくさんの刺激を受けるこができ、色々なことを知ることができるからです。それによって初めて、自分の頭で考えることができるようになっていくのです。

私が乗車した列車内には、幾つものコンパートメントという部屋に区分されていました。そのコンパートメントの中は、程良いクッションがついた座席が、まるでロングソファのように横に並んでいました。そして、その座席を足元の方向に引き出すと、前の座席と一つに繋がり、全身を伸ばすことができるようになっていました。
その空間は、まるで移動するホテルのようで、とてもリッチな気分を感じさせてくれるものでした。その列車に乗っているだけで、色々な国々を移動できるのです。特に、夜の移動はお勧めです。なぜならば、ホテル代が不要になるからです。スリーピング シーツさえあれば、どこへ行っても快適に過ごせました。
列車ですから、途中から様々な人々が乗車して来ますが、その人達と一緒になって、色々な話をするのが旅の面白いところです。
私がユーレイル・パスを利用したヨーロッパの旅は、最高に素晴らしいものでした。それは、人類の夢であり、自分の人生の中の夢物語でもありました。

ビジネスマン、旅行者、ジャーナリスト、主婦、学生・・・色々な国々の人達との出逢いがあり、別れがありました。そして、それらの出逢いを通じて、お互いが話合うことによって、様々な情報を得、大切なことを得ることができたのです。
それは、国境を越えた会話であり、真の人間としての交流でもありました。
そして、列車に乗っているだけで、一つの国から別の国へと移動していきます。
私が訪れた時は、既に、EC(欧州共同体)になっていましたので、国は別々に別れていましたが、実質的には一つになっていることを感じました。
現在と異なることは、通貨ぐらいです。
私が旅行していた当時は統合前でしたので、それぞれの国の通貨を使用していたのです。

私は、学校で英語を習ったぐらいで、特に英語ができるほうではありません。しかし、相手が話している事を一生懸命に聞いていると、それが伝わってくるのです。それは不思議な感覚でした。もちろん、フランス語や、スペイン語ができれば、もっと良いのでしょうが、英語だけでも困ることはありませんでした。

宿泊先は、私の場合、まず、ユースホステルを探しましたが、国によって、安いペンションがたくさんありますので、自分で情報を集めて探すことが大切です。
大事な事は、一日の全ての総金額を、一人、5000円以内に収めることです。
それは宿泊代、食事代、交通費、遊興費、お土産等の総てを含んだ一人の金額です。これが、長期旅行者の大事な目安です。
もちろん、この金額以下であれば、黒字ということであり、これ以上であれば大赤字ということを意味します。
ヨーロッパや西欧諸国は、日本と同じか、それ以上なので、厳しいことは充分、分かっています。特に、セールス・タックス(税)が高いので要注意です。
ですから、その予算にあった宿泊先を見つけることが大事になってくるわけです。

しかし、外国では、日本円は非常に価値がありますので、探せば良い宿泊先を見つけることができます。要は、料金が高ければ、良い宿泊先とは限らないということです。安くても、安全で、良い宿はあるのです。それを探していくことも、旅の楽しさの一つでもあります。
もちろん、経済的に余裕がある人は、星がたくさん付いているホテルに泊まって、リッチに、ゴージャスに過ごすのも素晴らしいことです。

ユーレイルの旅 (二)
アムステルダムとフランクフルト
私はフランスからベルギーを通り、アムステルダムへ着きました。
アムステルダムでは、私はユースホステルに泊まったのです。
そのホステルには、若い人達が集まっていたのです。
私の側に座っていた黒メガネをかけ、鬚をはやした若い青年が、不思議な言葉を話していました。私は、近くに居た別の青年に尋ねました。

「アムアムオムオム・アムオムアムオム」

「彼は一体、何を話しているのですか?」

「彼は火星人なので、火星語を、今、話しているのです」

「・・・・・」

オランダの若者は、それまでに出会った人達と少し感じが違うな、と私は思いました。何か、ここには、それまで、どこにも居なかった人達が集まっているような、全く異なる雰囲気が漂っていたのです。
アムステルダムには、窮屈さや、堅苦しさは全くありませんでした。
若者達は、形に全く囚われことなく、自由に、活気に溢れながら、その生を楽しんでいるように感じたのです。

私は、暫くの間、自分からは積極的に話さずに、彼等の言葉をじっと聞いていました。
そこには、色々な食べ物を、ガラスケースから取り出してくれる一人の若い女性がいました。その若い女性は、よく話しをするタイプの女性でした。

私が何も話さないので、その女性は、私が聴覚障害者だと思ったようでした。
そして、彼女は、私に、このように言ったのです。 

「あんた、まるで、○○みたい!」

「私は、○○ではない!」

その時、すぐさま私は口を開いて、彼女に大声で言い返したのです。

「え!」

彼女は、私を見ながら非常に驚いていました。
私が、言葉を話せるということを知って、急に顔を変えたのです。

そして、私に対して、ひどいことを言ったことを恥じているようでした。
その後、私に対する彼女の態度は、急に変化したのです。
その出来事は、私にとって、旅の良き思い出の一つになりました。

その時、私は外国語で言われると、全然、何を言われても腹が立たなかったのです。半分、冗談のように聞こえていたのです。それは、英語から日本語の間に、ワン クッションある為に、自分が直接的に、すぐ反応して熱くなることなく、まるで受け流すようにして、冷静に聞くようにしていた為だと思います。

そのホステルに集まっている青年達は、それまでの人達とは違っていましたが、自由で、活気があって、とにかく面白い青年ばかりだったのです。

アムステルダムという街は、ヨーロッパ各地から、迫害を受けて逃れてきた移住者が造った自由都市だったのです。

やはり人間は、形ばかりでなく、本性というか、自分をさらけ出して生きることが一番です。

「私もあなた達と同じ、型破りな人間なのです!」

地位も、名誉も、権力も、お金も、何も無い青年達が一同になって、有り余るエネルギーを爆発させていました。それは忘れられない一時でした。このようにして、アムステルダムの時間は、あっという間に流れ過ぎていったのです。
私は一人で、アムステルダムの街を歩いていました。そして歩き疲れると、アムステルダムの中央駅の前で、東京駅を思い出していました。また、王宮の前のダム広場に行っては、鳩と戯れていました。夜になると、ディスコにも行きました。
ディスコの中には大勢の若者達がいましたが、ホールの中央の上から映像が映されていて、私が見たこともない若い女性に若者達は熱狂していたのです。
その女性は、日本では、まだ紹介されていない頃のマドンナでした。

オランダの街は多くの運河があり、独特な雰囲気を感じさせてくれました。
アンネ・フランクの家や、アムステルダム歴史博物館等にも訪れましたが、オランダの栄枯盛衰の歴史と、第二次大戦のユダヤ人の悲劇等、色々なことを感じることができました。
日本と比べると、オランダは非常に国土も小さく、人口も少ないのですが、そのオランダが、高い知識と高度な技術によって、徳川時代の初期から、極東の日本まで来航していたことは本当に驚くべきことでした。
国家と人が生き伸びていく為には、一人一人の自己意識の目覚め、強靭な意志、強烈な進出精神と開拓心、高度な知識見識、絶えず改良していこうとする向上心、そして、それを裏づける産業と技術、そして、高い教育にあると強く感じたのです。

この頃、私は、一つの目標を立てました。

「来年の一月一日には、私はギリシャに立つのだ!」

その理由は、12月のヨーロッパは寒くなっていたからです。
もう、その頃には、ヨーロッパ各地で雪が降り始めていました。
その後、私はドイツに入り、日本人の多いドッセルドルフを経由して、フランクフルトに着きました。
フランクフルト(アム・マイン)は、非常に短いステイ(滞在)でしたので、腹を空かしていた私は、食べることしか考えていませんでした。

「フランクフルトに来たら、ソーセージを食べなければ!」

フランクフルトの中心街には、多くの店が並んでいて、たくさんの人々が歩いていました。街は活気があり、非常に賑わっていたのです。
中央駅から、カイザー通りを歩き、そしてゲーテの生家を通って、ゲーテ広場に出ました。ここにはたくさんの御店が並んでいて、市場も近くにありました。
私は、ソーセージ屋さんを見つけ、それを食べようとしたのです。

「フランクフルト、一本、下さい!」

その店員は、変な顔で私を見るだけでした。
もう一度、私は注文してみたのですが、言葉が通じないのです。

「これですよ! これ! これ、下さい!」

「オー、ウースト!」

ドイツでは、どうやら、ソーセージのことを「ウースト」と呼ばれていることを、私は初めて知ったのでした。
私は、フランクフルトにおいて、ドイツの酒場で知り合った友達と楽しく食事をしながら、アップルワイン(りんご酒)を飲みました。

「これはけっこう、おいしい!」

ドイツにくれば、ビールと相場は決まっていますが、この時、はじめてアップルワインを飲んだのです。少し酸味はありましたが、すんなりと、おいしく飲めたのです。

「これなら飲めるぞ!」

私は、旅の勢いで、飲み始めたのです。
ある程度、盛り上がった時に、酒場のあちらこちらから、歌が始まっていました。

「ジロー、何か日本の歌を歌ってくれ!」

「え、歌なんか、歌えないよ」

「何だっていいから、歌ってくれ!」

「分かったよ、歌えばいいんだろう」

私は、その時、なぜか「海ゆかば」を歌ったのです。
それが、オペラ調に聞こえたのか、けっこう受けたのです。

「ジロー、今の歌は、どういう意味なのだ」

「海へ行ったら、海で死にましょう。山へ行ったら、山で死にましょう。あなたの傍で死にましょう。振り返りはしません、という意味ですよ」

「オー、ジロー、それは素晴らしい。それは、ラブソングだ!」

ドイツの地にて、全く思いもよらない答えが返ってきたのに対して、私は驚きました。

「人間、お酒を飲んだら、皆、兄弟!」

フランクフルトの街には、ゲーテの生家がありました。まだ、この頃の私は、ゲーテの名前だけ知っているだけで、ゲーテのことは、全然、知らなかったのです。

ゲーテは詩人でしたが、小説家、自然科学者、戯曲家、そして、政治家でもあったのです。
私が日本に帰国してからゲーテの本を読んでみると、ゲーテの存在の大きさに驚くばかりでした。ゲーテという人は、一言でいえば、真理の探究者だったのです。
そして、総てのものに通じている真理というものを探し続け、書き残していった人でした。
ゲーテの生涯の代表作である「ファウスト」という作品の中には、「人間とは何か」、「悪とは何か」、「神とは何か」というテーマが強く込められています。

私には、ゲーテという人間存在の中に、ドイツの魂があり、一人一人の人間の運命や、人類全体が辿るべき進化のプロセスが入っているように感じられるのです。
「ファウスト」という書物は、私達に「人生とは何か」「進化・成長とは何か」「苦悩とは何か」ということを深く考えさせてくれる衝撃的な本であると思っています。

ゲーテが人類に投げかけた種は、その時に、私の心の中に確実に蒔かれました。そして、その種は、同時に総ての人々に蒔かれたのです。
ゲーテの生きた18世紀後半から19世紀前半の時代は、ヨーロッパ激動の時代であり、革命の時代でもありました。

悪魔であるメフィストヘレスが、薄笑いをしながら私に言うのです。

「お前等に、高邁な真理など分かるわけがない!」

「私には、高邁な真理など、分からないという事が分ったんだ!」

「じゃ、それを何だか行ってみろ!」

「真理とは、生命ということだ!」

「しょせん、お前の脳みそでは、その程度のことだ。まぁ、お前がくたばるまで、人生に振り回され、悶えながら、苦しめば良いのだ! ワッハッハッハ!」

メフィストフェレスが現われ、その甘い誘惑の言葉に誘われると、私達は、一時的には、自分がこれ以上ない高揚感に包まれて我を忘れてしまいます。しかし、最後には、自分が信じられない出来事に遭遇し、大きな損失、苦痛や悲嘆がもたらされることによって、自分という存在が、どん底まで落とされてしまうのです。
そして、メフィストフェレスは、そのような人間の姿を、まるで楽しむようにして嘲笑の笑い声だけを残しながら、去っていくのです。そのような時、私達は、自分の愚かさと、その小ささを嘆きながら、必死に耐えて生きていくだけです。
しかし、救いは必ずあります。その私達の無力な姿を、メフィストフェレスの存在を許している神という存在が、どこかで私達を見ているからです。

私達には、神の姿は見ることはできません。しかし、神は私達に決して気づかれないようにしながら、私達を一番良い方向へと導いてくれているのです。なぜならば、神御自身が、悪魔のようなメフィストフェレスを利用しながら、私達を鍛え、教え導いている存在だからです。



ユーレイルの旅 (三)
スイス、そしてイタリア
ようやく私はスイスのバーゼルに着きました。
バーゼルは、フランスとドイツの国境に接した大都市でした。

私は、ユースホステルに宿泊しました。
雪は降り始めていて、スイスの街や空気や水は、雪によって清められていました。
バーゼルの街は、どこもクリーンでした。

「さすが、スイス! 御見事!」

私が泊まったバーゼルのユースホステルは、大きな建物でした。そして、世界中から来た若者が集まっていたのです。まさしく国境を越えた集いであり、インターナショナルであり、コスモポリタンの世界でした。
大きな食堂において、世界中から集まってくる若い男女と、一緒に食事をするだけで私は大きな歓びを感じていました。

「世界中の人々と、小さい時から、毎日、一緒に食事をしたり、遊んだり、勉強したり、話をしたりするならば、もう世界には戦争なども起こらずに、平和が達成されるだろう!」

私は、本心から、そう思いました。

ヨーロッパの素晴らしさ、アメリカの素晴らしさは、世界中の人々を全て受け入れてくれる所にあるのです。もちろん、これは旅行者の場合ですが、学校の英語の授業を、将来外国へ旅行するという目的を持ちながら勉強していれば、どこへ行っても不自由はないと思いました。
世界中の色々な人々と楽しく会話ができたり、お互いの国の紹介をしたり、様々な国境を越えた人間としての話ができるからです。
私の眠る部屋には、アメリカ人、カナダ人、オーストラリア人、様々な国から来た若者がいたのです。夜、寝る前の会話も忘れられないものでした。

「日本は軍隊を持っていないの?」

「そうです。日本が戦争で負けた時に、アメリカが、日本に軍隊を持たせない為に、今の憲法を造りました。だから、日本は、平和国家として生きていくのです」

「だから私達、アメリカ人は、世界の平和を維持する為に、日本に対しても、その憲法を造った責任があるのだ」

「私達、カナダ人は、今の社会を側面から援助していく立場です」

「我々、オーストラリア人も、他の国々と力を合わせて、側面から援助をしていく立場です」

世界中から集まった若い青年同士が、それぞれの立場から、全地球的な会話をすることができたということ自体が、非常に素晴らしい体験であり、決して忘れられない貴重な瞬間でした。

そして、国際感覚という意識を私に教えてくれたバーゼルを去り、私は首都ベルンへと進んで行ったのです。
清らかなアーレ川が、まるでベルンの街を取り巻くようにして流れていました。その豊富な川の水が、とても澄んでいるように感じました。
私は、その川の流れ続けている水の音を聞いているだけで、なんだか、とても心が和みました。

「スイス人は、自然を愛する国民なのだな」

私は、自然を愛する点において、スイス人と日本人とは共通するところが大いにあるなと感じました。そして、スイスは、ヨーロッパの中でも、昔から、国民皆兵制であり、永世中立を保ち続けている平和国家です。
日本という国も、世界の中のスイスのような国家となることが良いのではないかと思いました。
世界の安全都市であり、世界の環境都市、世界の経済都市、世界の情報都市になることが、日本のこれからの目標だと思いました。

スイスの山々は、既に白く雪に覆われていました。
私は、他の日本人から、インターラーケンへ行かないかと誘われていました。しかし、山深いインターラーケンまで行ってしまうと、そこから全く動けなくなってしまうと判断して、お断りしたのです。そして、私は、イタリアを目指したのです。

「寒いのは嫌だ。私は暖かいギリシャへ、一月一日までに行くのだ!」

私はイタリア、ギリシャへと前進していったのです。
大陸の南下は、列車のスピードが速く感じられるのです。通り過ぎていくスイスの白い山々を列車の窓越しに見ながら、私は、一気にイタリアに入ったのです。

「ミラノ! ミラノ!」

とうとうイタリアです。駅員の姿を見ると、かっこいいのです!
ファッションの国・イタリア。ミラノは、その中心的都市でした。
何でもありのイタリアです。まず初めに両替をしましたが、リラの額が非常に大きいので、何か自分がリッチになったような気分がしました。

イタリアまで来れば、もう暖かいと思っていたのですが、ミラノはアルプス山脈に近い為、雪が降っていて非常に寒かったのです。

ミラノ初日に泊まったホテルは最悪でした。
宿の女将が癇癪持ちで、何かあると、すぐに、キーキーキャーキャー騒ぐのでした。料金は割合と安かった為に泊まってしまったのですが、大失敗だと分かり、翌日は、すぐにミラノから脱出しようと決めたのです。
次の日、私は宿から、朝一番で飛び出しましたが、大事な事を忘れていたのに気がつきました。それは、前日、宿に泊まることを決めた時に、宿の女将が、私のパスポートを預かるということで渡していたのです。

「あっ、パスポートがない! あの女将だ!」

私は、慌てて宿に戻り、女将を見つけて、自分のパスポートを女将の机の中から取り出させました。

「こんなことは、初めてだ! プンプン!」

イタリアに来たばかりなのに、ミラノで危ない目に遭ってしまい、これからが心配になってしまいました。

「ボローニャへ行くぞ! ボローニャ! ボローニャ!」

ヨーロッパ編

中近東編

1.イスラエルへの出発
2.イスラエルでの一か月
3.ユダヤの神殿と、イスラムの聖地
4.トイレ探し大冒険 イン エジプト
5.ルクソールでの太陽の夢

アジア編

1.カラチの出来事
2.ダライ・ラマとの出逢い
3.ラダック・レー(1)マンダラ祭
4.ラダック・レー(2)出逢いと発見
5.ラダック・レー(3)事故
6.スリナガルの夢
7.サールナートの情熱(未完成)
8.聖地バラナスィ
9.フィリピンでの治療