不思議な国のパリ
イギリスからドーバー海峡を渡り、私はヨーロッパ大陸最初の地、カレーに着きました。そして、私は、麗しき愛しのパリへ向かったのです。
しかし、私にとって初めてのパリは、分からないことばかりでした。
まず、その日の宿泊先を決めなければなりません。しかし、どの国でもそうなのですが、最初の日というのは全く様子がつかめないのです。
私は、まず、ミドルクラスのホテルを選びました。初めてのパリぐらいは、少し贅沢をしてもいいかな、と思ったからです。
ホテルの中に入ると、その外観とは異なり、少し古いような暗い感じがしました。私は、まず、御湯とお水が出ることを確認し、シーツが奇麗に取り換えられていることを確認して、パリの最初の夜はそこに泊まることに決めました。
バス、トイレの中を覗いてみると、そこには、私の知らないものがありました。
「これは一体、何なのだろう?」
それは、細長いハート型のような形をしていました。そして、その中央に蛇口が付いていて、その蛇口をひねると、そこから水が出てくるのです。
パリ初日から、謎解きが始まりました。
「今までに、こんなものは見た事がない」
私は、口をうがいするものなのかと思い、蛇口をひねり、口を近づけながら水を出したのです。すると、物凄い勢いで、水が上に一気に噴き出したのです。
「どうやら、これは水を飲むものではないらしい・・・」
その時、私は水を少し飲んでしまいました。しかし、それが何であるのか全く分らないのですから全然、平気です。
「これは形からすると、座って使うものだろう。しかし、便器のようで便器でない、蛇口のようで、蛇口でない!」
私は一人で、勝手に騒いでいましたが、その時は、それが何であるのか、全く、分りませんでした。
それが分かったのは、ある日突然のことでした。
「そうか、あれは女性が、男女の営みの後で使うものだったのか!」
私は、フランスという国が、男女の愛を非常に大切にするお国柄であることを忘れていたのです。こういうものがホテルに取り付けられていることに、その国の歴史と心配りが出てきます。
海外へ旅に出ると、自分が見たことや、知らないものに数多く出会いますが、その時の驚きと戸惑いが、また旅というものの大きな面白みでもあります。
自分が人生の中で出会った不思議な事柄と、その謎を解いていくということは簡単なことではありませんが、また同時に、面白いことでもあります。
芸術の国フランスに来たのですから、私はパリ観光に出かけました。
最初は何といっても、太陽王・ルイ14世の宮殿であったルーブル美術館からです。
ルーブル美術館の入口から入ると、すぐに「ミロのビーナス」が見えてきました。
その女性は、豊満で官能的な肉体をしていながら、同時に無垢で清楚な感じを辺り全体に漂わせていました。
また、その女性の端正な表情からは、この女性が非常に理知的な女性であることが窺えるのです。
ルーブルに入ると、まず最初に、永遠の輝きと美しさを持った人類の理想的女性が、私達一人一人に対して、優しく愛を持って迎えてくれるのです。
「どうして、両手がないのかなぁ。あればもっと、奇麗だっただろうに」
私が学生の頃は、そのように思っていました。
しかし、現在では、
「この形こそ、愛と美の真髄」
このように思っているのです。
この素晴らしい彫像が、最初に見つけられた時の感動は如何ばかりだったでしょう! それは、まさしく古代ギリシャの理想の光そのものだからです。
「見ろ! これこそ、アフロディーテ様ではないか!」
思わず、立ち会った人々は、そのように思ったことでしょう。
ルーブルを訪れたならば、まず最初に会うのが、「ミロのビーナス」です。
それは総ての人々が見なければならないほど、価値があるものだからです。
「もし、目の前にミロちゃんがいたら、僕はメロメロだなぁ!」
そのような不純なことを、つい、考えてしまう私でした。
ルーブル美術館は、館内が広い上に、歴史的にも、内容的にも、素晴らしい絵画が非常に多い為に、一言で語り尽くすことはできません。
絵画が好きな人、絵画を勉強する人、美術・芸術を愛する人にとって、パリ以上の街は、世界中のどこにもありません。
なぜならば、このパリという都市全体が一つの大きな芸術作品だからです。
パリという街全体、土地全体から、愛と美、そして芸術の波動が発信されているからです。
パリの街全体から人は愛と美の波動を受け、そして、それを感じた人々が、パリの街と大地に対して、愛と美の波動を送り返していくのです。
それは、愛と美の永遠の循環になっています。
そのような素晴らしい愛と美の街から、名画がたくさん生まれるのは自然なことです。そのパリとフランスが産んだ名画が、ルーブル美術館に数多く集められているのです。これは、人類の一人として、見逃すことはできないことです。
ゴッホ、ルノアール、マネ、モネ、ピカソ、ミレー、マティス、ロートレック・・・・数えきれないくらい多くの芸術家がフランスに生れ、育ち、パリに集い、そして世に出て行きました。
そのような中で、私が一番、魅せられた絵画は、レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」でした。やはり、ヨーロッパを産み、育て、成長させた人物は、第一に、ダビンチであることを確信したからです。そしてダビンチとほぼ同年代に生れたミケランジェロも大天才です。
「ヨーロッパを産み、育て、ヨーロッパにした大天才」
時代の節目には、必ず、あらゆる分野から、煌きのような大天才が出現して来ます。それらの一握りの大天才達によって、歴史は動かされ、創られてきたのです。
「ナポレオンの皇帝戴冠式」は圧巻です。フランスといえば、やはり、ナポレオンです。ナポレオンなくして、フランスは語ることはできません。
ルーブル美術館を訪れたらば、必ず、ナポレオンに敬意を示して、挨拶をしましょう!
「ナポレオンちゃん、今日は!」
ドラクロアの「人民を導く自由の女神」も迫力があり、まるでフランス革命のワンシーンを見るような臨場感があります。自由の女神は、この絵画から誕生しました。
「こういう情熱的な女性と恋をしてみたいなぁ!」
どうしても、好き放題のことを考えてしまう私でした。
ルーブル美術館の中で、私は素晴らしい絵画の前に立つと、自分自身が、まるでその時の世界に没入してしまうのです。
それは、瞑想と同じです。絵画と自分とが、自然に溶けて吸い込まれていくようになってしまうのです。
ですから、本当に素晴らしい絵画や書、彫刻等は、ずっと見ていても決して飽きがこないばかりでなく、毎回毎回、新たな気づきや発見を私達にもたらしてくれるのです。
館内で、長時間、絵画を見続けていると、身体が非常に疲れてしまいます。ですから大切なことは、少し、リラックスしながら、何度も足を運んで観ることをお勧めします。
ルーブル美術館(宮殿)という異次元のタイムトラベルから抜け出ると、正面には、左右対称になった緑のチュイルリー公園がありました。(現在では、1982年に建てられた大小のガラスのピラミッドがあります。)
左側(南側)には、セーヌ川がゆっくりと流れています。
「パリは、エジプトと深く繋がっている!」
私には、この感覚が非常に強く残りました。
それは、文明の不思議であり、人類の謎でもあります。
ガラスのピラミッドの先には、カルーゼル凱旋門が正面に立っています。
その先は、美しいチュイルリー庭園です。
カルーゼル凱旋門を通り抜け、左右対称の美しい庭園の中を歩いて行くと、一本のオベリスクが見えてきました。
「コンコルド広場だ!」
なぜか、大きな声を出してしまいたくなるのです。
そのオベリスクは、かつてテーベのルクソール神殿入口に立っていたもので、1836年に運ばれてきたものでした。
その柱には、エジプトの神聖文字ヒエログラフが彫られています。
コンコルドとは、「調和」という意味なのですが、約210年前(1789~1799)、そこはまさに恐怖の場所だったのです。
その時、私は、この広場こそが、フランス革命の時の中心的な場所であることを思い出していました。
「ここが、あの革命の大嵐の時に、多くの人々の命が捧げられた場所なのか!」
ルイ16世、マリー・アントワネット、マラー、ダントン、ロベスピエール・・・
そこには数多くの苦しみと哀しみがありました。
歴史というものは、実に無情なものです。
人間の善悪というものは、数百年経ってみないと分からないものです。
あの1789年から始まったフランスの民衆による革命が、現代に生きる私達に与えた影響は計りしれません。そして、その理想と情熱の波動は、今尚、現在を動かしながら、未来へと導いているのです。
フランスに来ると、どうしても歴史の波が辺り一帯に充満していて、それが絵巻物のように繰り広げられてきて、私を捕えて離さないのです。
コンコルド広場から抜け出ると、愛しのシャンゼリーゼ通りに出ます!
そのシャンゼリーゼ通りを真直ぐに行くと、有名なエトワール広場の中心に建つ凱旋門に着きます。
そのエトワール凱旋門から先は、シャルル・ド・ゴール通りと名前が変わり、川を渡ったずっと西の先に、1989年に建てられた新凱旋門があります。
パリの起点であるルーブルは、元来、太陽王・ルイ14世の王宮であり、チュイルリー庭園は17世紀に設計されたものでした。
ですから、現在のパリになるまでに、実に300年もの歳月をかけて造られたものだったのです。
フランスという国は、非常に不思議な国です。もちろん、全ての国が、皆、不思議に満ちているのですが、特に何か物凄く奥深い力を、いつも感じさせるのです。
そして、私はエッフェル塔へ昇ろうとしました。
そして、初めてエッフェル塔を見た時、私は、こう思いました。
「東京タワーの方が勝った!」
エッフェル塔が造られたのは、1889年のパリ万国博覧会の時であり、一方、東京タワーが建てられたのは1958年です。建設された年代が大きく異なっているのですから、東京タワーの方が、かっこよく見えるのは当然のことです。
しかし、よく見ると、エッフェル塔は非常にシンプルながら、美しい女性的な姿をしていることに気がつきました。
「エッフェル塔って飽きが来ないし、いつまでも愛されるタワーなんだなぁ」
私は展望台へ行き、そこからパリの全景を眺めていた時です。
下から風船が、私の目前に浮かんで来ました。
私の側には、二人の老人のカップルが話をしているのが見えました。
私がエッフェル塔の下に降りて一人でいると、
「写真を撮ってあげましょうか?」
その老カップルは、私が何も言わないのに近づいて来て、写真を撮ってくれたのです。そして、親切な老カップルは、一つの喫茶店のような御店を指して、二人で、こう話していました。
「あ、結婚した後で、あそこの店に入ったんだ」
どうやら二人は、昔、パリで結婚式を挙げたカップルのようでした。数十年経った後で、再び、思い出の場所にシルバー旅行に来たようでした。
二人は、とても仲の良いカップルでした。
私達は、一緒に、ノートトルダム大聖堂へ歩いて行ったのです。
ノートルダム大聖堂に着くと、二人はミサの時間を入念に調べていました。
「この老カップルは、数十年前、この寺院で結婚式を挙げたのかな? 齢を取ってから、再び、自分達の思い出の場所に来るなんて、何と素晴らしいことなのだろう!」
私は詳しい事は何も聞きませんでしたが、そんな感じがしました。
フランスはセーヌ河の中洲のシテ島から始まったといわれていますが、そのシテ島に建てられているのがノートルダム大聖堂です。
「ノートルダム」とは、フランス語で「私達の貴婦人」という意味であり、聖母マリアのことです。つまり、この大聖堂は、聖母マリアの為に捧げられた美しい教会堂でした。中に入ると、今まで見たこともない七色に輝く丸い華のようなバラ窓のステンドグラスが見えました。
1804年12月2日、皇帝になったナポレオン・ボナパルトの戴冠式が、ここで行われました。
12月になっていたので、季節は、少しずつ寒くなっていました。
しかし私は、シャンゼリーゼ通りを歌いながら、陽気に歩いていたのです。
そして、凱旋門へ着き、凱旋門の一番上からパリの町全体を見渡したのです。
「この門は全世界を知っている!」
ナチスドイツによるパリ占領の時に、無数のドイツ戦車がこの凱旋門の下を通り、フランス人民が悲しみのあまり、心を失ってしまったこと。
そして、第二次大戦が終わり、パリが解放された時の人々の歓呼の声と言葉にならない声が湧きあがっていたこと等・・・。
人々の歓び、悲しみ、苦しみ、怒り、不満、痛み、涙、生と死の総てが、この門を通り過ぎて行きました。
私はメトロ(地下鉄)に乗りました。パリのメトロは、不思議です。
まず、ヨーロッパの大都市の駅であるのに、改札に人が全くいなかったのです。
それは、日本では想像できないことでした。
壁に付けられた隠しカメラを通して、私達の姿をメトロ防災センターで必ず見ているはずなのに、私達にはその気配さえ全く感じさせないのです。
出入り口も全て全自動で、お客さんの自由勝手に任せているというような感じがしました。
まず、私は切符を買おうとしましたのです。
しかし、その切符販売機の表示は、当然、全てフランス語でした。
私は、フランス語が全く分からないので、一人で困っていたのです。
「パリのメトロって、本当に不便だな。一体、どうしたらいいのだろう」
しばらくの間、私はどうしてよいのか分らないで、その切符自動販売機の前で立ちつくしていました。すると、パンチング帽を被り、メガネをかけ、口髭をはやした芸術家のような人が、私に近づいてきたのです。
その人は、私に英語で、切符の買い方を教えてくれたのです。
そして、その人の御蔭で、私はやっと切符を買うことができました。
そして、ようやくのことで、メトロの中に入ることができたのです。
メトロのホームはとても芸術的でした。
ホームに入ると、私の眼にイクナートンの独特な御顔が飛び込んできたのです。
パリのプラットホームの壁には、永遠の希望と未来への微笑みが設置されていたのです。私は、たまらなくなって、その像の前に立ち、ガラス越しに微笑みました。
イクナートンとは、紀元前14世紀のエジプト第18王朝において、アメン神の多神教から、太陽神アトンだけを祀る一神教への宗教改革を行った異教のファラオでした。
そのために、それまでのアメンホテップ四世という自分の名前を、“太陽神アテンに愛される者”という意味のイクナートンという名前に変えた人です。
イクナートンの母は、外国から来た絶世の美女ネフェルティティです。そしてイクナートンの息子がツタンカーメンでした。
この続きは、私がエジプトへ導かれた時にしたいと思います。
イクナートンの御顔は、非常に長くほっそりとして、しかも凛とした気品に溢れていました。そのイクナートンが、私に優しく微笑んでいたのです。
そして、その像の下には、「ルクソール」とはっきりと書かれていました。
それは私の記憶の中に、はっきりと刻印されたのです。
「ルクソールへ来なさい」
イクナートンは私に、そう語っているようでした。
そして、この像によって、私はエジプトのルクソールへ導かれたのです。
パリでは、色々な場所で、ミュージシャンや、画家、大道芸人達が、自由に人々を楽しませてくれています。パリの街全体が芸術の雰囲気に包まれているせいで、様々な芸術活動が、パリの一部になっているからです。
驚いたことに、メトロの中は、音楽を愛する若者達にとって、かっこうのステージとなっていました。その理由は、音響効果はいいし、天候に関係ないし、人は多いからです。
やがてメトロが来て、私はそれに乗りました。
メトロの中は、日本人である私には理解できない世界でした。
若者達が、お客さんの気持ちなど全く気にせず、ギターを弾き、歌を大きな声で歌っていたのです。そして誰一人として、それについて文句も不満も言わないのでした。完全に地下鉄の中がステージになり、営業活動が平気でおこなわれていました。
メトロは、次の駅に着きました。
すると、乗客自身が、自分の手を使って、そのドアーに付いているドアーフックをはずすのです。これには、私は驚きました。
何も知らないで、ドアーが自動的に開くのだと思って立っていると、ドアーは開かずに、そのままの状態で次の駅へ行ってしまうのです。
「パリは、今迄の都市とは大きく異なっているなぁ」
メトロから地上に出てみると、そこにはまた日本とは違った世界がありました。
まず、小学生位の子供達が何人かで集まり、大人のような格好をして、街中で堂々とタバコを吸っていたのです。日本でもタバコを吸う子供はいますが、早くても中学校の高学年位からでしたし、人に知られないように隠れながら、そっと吸っていたからです。
「何かが違う」
私は、そう感じました。
そして、パリの街を一人で歩いていた時のことです。
一人の紳士のような一人の七十位の老人が、突然、私に歩み寄って来たのです。
そして、英語で私に、このように言ったのです。
「私は不幸です。もし、あなたが何か食べるものを持っているならば、私に少し、分けてくれますか」
「え? いいですけど・・・」
私は、その老人に、持っていた食糧を渡しました。
身なりもそれほど悪くないビジネスマンのような姿で、コートに身を包んだ老人でしたが、旅行者に過ぎない私に物乞いしてきたことに私は驚いてしまいました。
「この国は、一体どうなっているのだろうか」
もちろん、人の人生は千差万別です。私には、その人の過去に何があったのか分りません。しかし、年を取った老人が、見も知らない外国人に対して、「私は不幸だ」と語るこの状況は一体、何なのだろうかと私は深く思ったのです。

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