フィレンツェの香り

「また、イタリアに来てしまったよ!」

雪のオーストリアから、私は再び、イタリアへ舞い戻ってしまったのです。
イタリアは北にある他の諸国と異なり、気温が暖かく、生活していくことに楽なのです。それでも、ミラノ等の北部イタリアは気温も寒く、雪が降っていましたが、フィレンツェ当たりになると、もう雪はありませんでした。

私はフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に着きました。
私は時刻表を持っていましたが、到着時間も大幅に遅れ、着いたホームも予定とは、全く異っていました。
しかしヨーロッパでは、そんなことは当たり前です。それにもまして、ここはイタリアですから、そんなことは日常茶飯事の事です。

「何でもありの国、イタリア、万歳!」

さっそく両替をすると、額の大きいリラ紙幣がたっぷり出されました。
束になったイタリアの紙幣を、がっちりと受け取ると、なぜか、儲かったような気分になり、自分の懐が大きくなったような気分になるから不思議なものです。

「何か買い物でもしたくなる気分だなぁ。心ウキウキ、心が躍る。ここはルネッサンスの中心地、花の都のフィレンツェだ!」

なぜか、歌の一つも、自然に口から出て来るようなルンルン気分でした。

本当にフィレンツェには、見るもの、行きたい所が山ほどあるので困ってしまうくらいです。中世の重要な建築物、彫刻、美術品、庭園等・・・。それら、一つ一つのものが、どれも皆、素晴らしいものなのですが、フィレンツェという街全体が、歴史遺産であり、人類が築いてきた世界遺産でもあるのです。

私は、一つ一つのものというよりも、まず、街全体、土地全体から放射されてくる波のようなものを感じていました。
フィレンツェの街から出ている何かを感じようとした時、突然、光輝燦然とする不思議な迫力に、一瞬、私の目の前がクラクラするような感覚が襲って来たのです。そのことによって私は、ここはヨーロッパの異空間だということを知ったのです。

フィレンツェとは、英語のフローレンスです。それは「花が開く」という意味です。フィレンツェとは、まさしく、「花が開いた街」なのです。
それは、古代ギリシャ・ローマの学問・知識・文化・芸術の花を、再び、開花させようとしたことを表しています。そして、それがルネッサンスでした。
つまり、久しく失われていた古代ギリシャ・ローマの古代文明の光を、再び(re)・誕生(naissance)させようとする運動が、14世紀~16世紀にかけて、この地において起き、それが開花したということです。

私はまず、フィレンツェの中心であるドゥオーモへ行きました。
その大聖堂のクーポラと呼ばれる大ドームは威厳があり、格調高い感じが伝わってきました。その一番高い頂上から、八角形状に広がりながら降りて来るクーポラの白い流線は、私達に、ドゥオーモの美しい存在をより強く印象付けてくれます。

「まるで王様の王冠みたいだなぁ!」

そこはフィレンツェの象徴であり、宗教の中心地でもありました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母教会)と呼ばれ、白、グリーン、ピンクの大理石で造られている壮麗なゴシック建築です。アルノルフォ・ティ・カンビオの設計によって、1296年から建築が開始され、1436年に完成されました。
特に、頂上のクーポラの部分は、建築の天才、ブルネッレスキが完成させました。
その完成までに、実に140年以上の歳月をかけて造られたということですから本当に驚きです。

大きなドームの脇には、真直ぐに伸びる巨大な塔が立っています。

「ジョットの鐘楼だ!」

私は、美しく壮麗で巨大な塔に、ただ、ただ圧倒されてしまいました。

「言葉がないなぁ・・・」

フィレンツェでは、一つ一つの建物が、どれも全て一級の芸術品なのです。

「もう、どれを見ればいいのか、どこを見たらいいのか、分からないよー」

私は、ジョットの鐘楼の下で、口を開けた状態で全体を見上げ続けていたのです。
そして、私は鐘楼の中に入り、85メートル、414段の階段を上がりました。
そこにはフィレンツェの総てが見えました。

「何て、素晴らしい世界なのだろうか!」

フィレンツェの街全体を上から一望した時、そこには私が今まで見た事がない世界が広がっていたのです。それは忘れられない瞬間でした。

そこには薄赤茶色の屋根が、辺り一面に、フィレンツェの街全体を覆うようにして広がっていたのです。それはまるで一つに生き物のように調和していたのです。

「何か、この街は美味しそうだなぁ!」

薄赤茶色の屋根の色が、私にはまるでチョコレートのように感じられて、街全体が大きなチョコレート・ケーキのようにも見えたのです。もう、言葉がないのです。

「フィレンツェという街は、本当に、ワンダーフル キングダムだ!」

ドゥオーモの前には、八角形のサン・ジョバンニ洗礼堂がありました。サン・ジョバンニとは、フィレンツェの守護聖人である洗礼者・聖ヨハネのことです。
それぞれの門には様々なレリーフが彫られていて、その東門には旧約聖書の出来事が彫られています。あのミケランジェロが、東門を「天国の門」と言ったことで有名です。
私は、このドゥオーモ広場にいるだけで、なぜか満足してしまいそうでした。私にとってフィレンツェは、それほど、心と身体にぴったりの場所だったのです。

「何だか、とても懐かしい感じがするなぁ」

私は周りの建物の雰囲気を感じながら、中世の街を、足の裏で一歩、一歩、確かめながら歩いて行ったのです。フィレンツェの空気も、私の身体に合っていました。そして私の心は軽く、身体も快調でした。
その時、私は初めて訪れた感じがしなかったのです。

「過去世において、私はここにいたことがある・・・」

その声が、心の奥から私に何度も訴えてきました。

フィレンツェは、見るところが非常に多いので、私は最も重要な場所を重点的に周ることにしたのです。
道を真直ぐ歩いて行くと、広場に出ました。シニョリーア広場です。
広場の先には、94メートルの高さがある独特な塔が立っているのが目に入りました。

「ヴェッキオ宮殿だ!」

その建物は、14世紀の始めにフィレンツェの政庁舎として建築され、現在でも市庁舎として使用されている所です。メディチ家がピッティ宮殿へ移るまで、ここを住所としていました。
この建物の中にある「500人大広間」には、中世から多くの貴族や有力な商人たちが、このフィレンツェの行く末をめぐって、様々なことを論議した場所です。
そして、その「500人大広間」の壁には、ミケランジェロと、ダ・ヴィンチが競争したという壁画が描かれています。
宮殿前の広場は、フィレンツェの政治社会の中心地でした。
ヴェッキオ宮殿前にあるシニョリーア広場では、1498年の5月23日にサヴォナローラが火あぶりの刑に処せられた場所です。
メディチ家が繁栄した時代は、それまでのキリスト教からの呪縛から解放され、非常に自由で、華やかで、オープンな気風が溢れていました。そのために、多くの芸術家は、ギリシャ時代に見られるような裸像を多く造り、多くの裸絵を描いたのです。それまでの時代と異なり、人々に対して、人間の「裸」を見ることを奨励した時代がルネッサンスという運動でした。
現在でも、シニョリーア広場には、コピーのダビデ像が立っていますが、この全身、裸のダビデ像と、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」「春」こそ、ルナッサンスのシンボルであり、代表作ともいえるものです。
イスラエル民族の英雄であるダビデ王を、全身、裸の状態で彫刻し、フィレンツェの街の中心に置いた事が、イタリア・ルネッサンスの精神を表しているのです。

しかし、それまでのキリスト教にとって「裸」は、罪となるものでした。
フィレンツェの最盛期であったメディチ家のロレンツォの死後、ドミニカ派の修道士・サヴァナローラは、人々に対して、キリスト教に基づく厳格な生活と、悔い改めを人々に説いていったのです。サヴァナローラの神政によって、人々の生活は、簡易質素なものに一時的には戻りましたが、もはや、フィレンツェの時代的潮流を留めることはできず、サヴォナローラは失脚し、火あぶりの刑にされたのです。

「数日前まで、彼を信じていた人々に火刑にされるとは、大衆とは恐ろしいものだ!」

フィレンツェという街は、メディチ家なしでは語れません。
ここで少し、メディチ家に触れてみます。

メディチ家の紋章は、全体は金色で、その金地の中央上に少し大きい青丸があり、その青丸の中に三つの百合の花が描かれています。そして、その下に5個の赤丸が描かれているものです。その由来は二説あります。
その一つは、彼等の先祖は医師、薬種商です。赤い球は、丸薬を示しています。
もう一つは、銀行業であり、赤丸は貨幣であり、両替商の時に使用する秤の分銅を表しているという説です。
青丸の中にある百合の花は、聖母マリアを表しています。
「メディチ」とは、「薬」という意味であり、それがメディスンという英語にもなっていることから、中世において、既にメディチ家の影響は全ヨーロッパに及び、現在の金融経済の中心地ニューヨークと同じ世界的位置を獲得していたのです。

ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360~1429)が銀行業で巨大な成功を収め、1410年、メディチ銀行は、ローマ教皇庁の金融業務において優位な立場を得て、莫大な収益を手に入れました。
ジョバンニの息子、コジモ・イル・ヴェッキオ(1389~1464)は、一時、フィレンツェから追放されましたが、1434年、フレンツェに帰還し、政府の実権を握り、政治を支配しました。そして、コジモは、多くの芸術家を庇護し、学術、芸術を振興しました。そして、1737年までのメディチ家支配体制を全ヨーロッパに確立させたのです。
そのコジモの孫であるロレンツォ(1449~1492)は政治・外交面において、優れた才能を持っていたので、ロレンツオの時代に、ルネッサンスは最盛期を迎えました。彼は反対派には激しい弾圧を加えましたが、ボッティチェッリ、ミケランジェロなどの芸術家のパトロンにもなり、学問、芸術を厚く保護したのです。しかし、この頃から、銀行経営は巨大な赤字を出すようになり、破産寸前になっていきました。

「早い話、中世において、世界でナンバー・ワンの超金持ち一族だったっていうわけ!」

ルネッサンスによって、古代ギリシャ・ローマ哲学の再研究が始まり、新プラトン主義が起きてきたのです。そのように古代ギリシャを再考することによって、キリスト教の原点回帰が始まり、現在のキリスト教世界を再検討していく動きが開始されていったのです。
メディチ家は、ダンテ、ペトラルカ、フィチーノ等の古代ギリシャ・ローマの優れた人文主義者を保護育成しました。人文主義者とは、ギリシャ・ローマ古典の教養を持ちながら、人間の生き方を探求していく知識人のことです。

コジモ・イル・ヴェッキオは、プラトン・アカデミーや公立図書館をも設立しました。人文主義者の一人であるフィチーノは、多くのプラトンの書物を翻訳したプラトン・アカデミーの中心人物でした。

そのヴェッキオ宮殿のすぐ先には、ウッフィツイ美術館があります。
その建物は、元はフィレンツェ共和国政府の政庁舎でした。ウッフィツイとは、英語のオフィス(Office)です。そこにメディチ家が収集した美術品を保管する為に、最上階を改装したのです。メディチ家が1737年に断絶した後でも、ここに美術品は残され、美術館として公開されるようになったのです。
ウッフィツイ美術館は、素晴らしい、見るべき絵がたくさんあります。
中世の絵の事に詳しい人であるならば、時間がいくらあっても足りないくらいでしょう。あまり絵のことを知らない人でさえ、ボッティチェッルリ、ラファエッロ、レオナルド・ダ・ヴィンチの名前は知っています。
中でも、ラファエッロの「ひわの聖母」、ダ・ヴィンチの「受胎告知」も必見です。しかし、特に、ボッティチェッルリの「ヴィーナスの誕生」、「春」は圧巻です。ボッティチェッルリによる、この二枚の絵は、前述のダビデ像と同じ意味を持つ、中世ルネッサンスの代表作だからです。

白く大きな貝から、美しい裸のヴィーナスが誕生するという、その瞬間を描いた女神の姿こそが、まさにフィレンツェにおいて、古代ギリシャ・ローマの光というルネッサンス運動が誕生したことを表しています。
「春」においても、全く同様の、新しい生命の息吹というルナッサンスの歓びを感じられます。
それらは、14世紀から16世紀という、近代へと向かっていく過渡期において、このフィレンツェにおいて、開花したものでした。煌くような天才達が出現し、金融経済的にも大発展していった新時代の大きなうねりそのものが、フィレンツェという大輪を見事に開花させていったのです。

「話し出したら、切りがないよ~」

きっと、このウッフィツイ美術館を、じっくりと見ていったならば、一週間でも足りないことでしょう。なぜならば、そこはルネッサンス芸術の宝庫だからです。

ウッフィツイ美術館から、川が見えました。アルノ川です。
そして、二階建ての家のような橋が見えてきました。

「ポント・ヴェッキオ橋だ!」

このような橋は、芸術家が造った本当に味わい深い橋です。橋一つ、建物一つ、街の全てが、芸術の下で造られているのです。ポント・ヴェッキオのポントとは、「橋」であり、ヴェッキオとは「古い」という意味ですが、1345年に、画家であり、建築家でもあるジョルジュ・ヴァザーリによって造られた味わいのある家付きの橋です。
ポンテ・ヴェッキオ橋には、対岸にあるピッティ宮殿へと続く「ヴァザーリの回廊」があるのです。しかし、それは秘密の回廊です。私は、その回廊を探しましたが、全く分かりませんでした。その通廊には、ルネッサンス期の偉人を含む肖像画が数多く飾られていると言われているのです。後で分かったことですが、それは特別に予約された時だけ通行が許されるそうで、一般には非公開になっているのです。そして、その秘密の回廊は、ポント・ヴェッキオ橋の一番上の階に造られていると言われています。
その回廊は、コジモ一世(トスカーナ大公)が、メディチ家一族を、当時、住んでいた自宅であるピッティ宮殿から、執務室であったウッフィツイ美術館まで、安全に避難できるように造られた通路になっているのです。
その秘密の通路は、ヴェッキオ橋を造ったヴァザーリによって設計され、1565年に、ポント・ヴェッキオ橋の最上階に増築されたものであり、その回廊の長さは、約1キロメートルにも及ぶものです。
当然、私は、その回廊を通ることができませんでした。

「やっぱり、メディチ家の秘密は、今でも守られているのだ!」

この橋には多くの宝石商が立ち並んでいて、多くの観光客で賑わっています。

私はヴェキオ橋を渡り、対岸に着きました。そして、その時、私は一つ下流にあるサンタ・トリニタ橋のたもとに立っていたのです。

「ダンテ・アリギエーリ!」

フィレンツェに住む人で、この名前が思い浮かばない人はいないでしょう。
ダンテは、フィレンツェ生まれの詩人であり、哲学者であり、政治家でもありました。そして、サンタ・トリニタ橋のたもとこそが、ダンテが、永遠の淑女であるベアトリーチェと初めて出会った場所だったのです。
ダンテとベアトリーチェとは、その時、同じ9歳という年齢でしたが、彼女を初めて見たダンテは、魂を奪われるような感動を覚えたのです。それ以来、ダンテは、ベアトリーチェに対して、まるで熱病に冒されたようになってしまったのです。
一方、ベアトリーチェは、ダンテに会釈をしただけで、何も話をしませんでした。その後、ダンテはベアトリーチェに対して熱い恋心を燃やしていましたが、二人は交際することは一度もなかったのです。

「早い話、ダンテの一目ぼれで、一方的な片思いっていうわけ!」

片思いの男・ダンテは、自分の想いを伝えることができないままでいると、ベアトリーチェは、24歳の若さで、突然、病死してしまったのです。
ダンテは彼女の死を知ると、一時、錯乱状態に陥りました。しかし、その時にキケロやボエティウスなどの古代ローマの古典に出会う事によって、ダンテの心が癒されていったのです。やがてダンテは、その経験から、ベアトリーチェを永遠の存在として、自分の詩の中に描くことを決意したのです。

ダンテは、政敵によってフィレンツェを追放され、各都市を孤独のまま、放浪していました。その人生の最も暗い時期に、神聖な喜劇でもある「神曲」を書いたのです。

ここから、私があなたを、ダンテが辿った総ての世界をお連れ致しましょう。
その世界は、死後の世界ですが、ここまで来た人は、もう後戻りはできません。この深い世界を通り抜けなければ地上に出られないのです。この後、少しダンテの話が長くなりますが、御自分の浄化と思い、読む事の、めんどうくささと、かったるさに、どうか耐え抜いて御自分に勝利して下さい。自分が清められるには、どうしても忍耐の時間が必要だからです。

「ダンテの霊界旅行の全体」
人生の半ばにおいて、ダンテは暗い森に迷い込んでしまいましたが、ダンテの前に、突然、自分が尊敬している古代ローマの詩人・ヴェルギリウスが現われます。ヴェルギリウスは、天国のベアトリーチェの依頼によって、ダンテを地上に生を持つ存在として、地獄・煉獄へと案内することになったのです。そして、ダンテは数多くの恐るべき様々な地獄を体験した後、ヴェルギリウスの案内により、次に、煉獄(幽界)へと導かれていきます。そして、ダンテ自身の罪が一つ一つ浄化されていくことによって、七つの大罪が浄められていくことになるのです。そして、煉獄の山の頂上において、ダンテは、理想の女性であるベアトリーチェと再会を果たすのです。その後、ヴェルギリウスに代わってベアトリーチェが道案内役となり、ダンテは、ベアトリーチェと共に天界へと昇天し、天界の各遊星天を巡りながら、光に満ち溢れた最高至高世界を体験していくことになるのです。

地獄には門があります。そこには、こう、書かれています。
「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ」
そこにはアケローン川があり、冥府の渡し守のカロンが、生前において罪を犯した人々を一人一人、捕まえて地獄へと連れて行くのです。やがて地獄に着くと、冥府の裁判官ミーノスが、死者の行くべき地獄を割り当てていくのです。

「三途の河の渡し守って、おらんかったかのー?」

「オラ、知らねぇーだ。でも、四十九日の間に、閻魔さまを中心とする裁き司に裁かれることは知ってるだに~」

「ほな、日本と同じじゃな~」

*肉欲に溺れた者、*大食の罪を犯した者、*浪費とケチの悪徳を積んだ者、
*怒りに我を忘れた者達が全て地獄入りでした。ここまでが地獄の第六界です。

地獄の第七界は、暴力を振るった者であり、それは三つに分けられていました。

一、隣人に対する暴力、二、自己に対する暴力、三、神と自然と技術に対する暴力です。
そして、地獄の第八界は、「悪意者」でした。
悪意を持って罪を犯した者の地獄でした。そこには十の悪意者があります。

*婦女を誘拐して売った者、*追従の過ぎた者、*神聖な物を金で汚した者、
*邪法による呪術を行った者、*職権を悪用し利益を得た者、*偽善者、*盗賊、*権謀術数をもって他者を欺いた者、*不和・分裂の種を蒔いた者、*偽造や虚偽を行った者達でした。

「これじゃ、私も、完全な地獄落ち、間違いないよ~」

地獄の最下層であるコキュートスの手前には、かつて、神に歯向かった巨人が鎖で大穴に封じられているのです。
地獄の最下層であるコキュートスは氷地獄で、裏切りを行った者が、永遠に氷漬けにされているのです。そこには、かつて、神に反逆したルシフェル(サタン)が氷の中で幽閉されているのです。

「そこは、たぶん、寒冷地獄じゃな~」

コキュートスは、四つに分けられています。

一、肉親に対する裏切り者、二、祖国に対する裏切り者、三、客人に対する裏切り者、四、主人に対する裏切り者です。

「神の正義は、実に恐ろしい!」

ヴェルギリウスによって、ダンテは無事、地獄の世界から脱出しました。
そして、自分が生前になした行為を悔悟し、罪を償うことによって、浄化していくことができる煉獄界へと導かれていったのです。

ペトロの門の前に着くと、天使が石段の上に腰をかけていました。
そして、その天使の剣によって、ダンテの額に、Pという印が、七つ刻まれたのです。七つのPは、ダンテが煉獄の山において、浄められるべき「七つの大罪」を示していました。
ダンテが煉獄の山を通過することによって浄化されていくと、ダンテの額に刻まれたPの印が、自然に、一つずつ消えていくのでした。そして、ダンテの額のPの印が一つずつ、消えていくたびに、ダンテの身体が軽くなっていくのです。
そして、煉獄の山の頂上において、遂にダンテはベアトリーチェと再会するのです。
ヴェルギリウスは、イエス・キリスト以前の人である為、天国の案内をすることができないのです。そのために、ヴェルギリウスの役目は煉獄山の頂上までとなり、ダンテはヴェルギリウスと別れることになりました。そして、それ以降は、永遠の天使・ベアトリーチェによって、天界へと導かれていくことになるのです。

天界には、十二宮がある恒星天(月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天、恒星天)があり、その上に、万物を動かす力の根源である原動天があり、一番上の最上界には、エンピレオと呼ばれる神が坐す至高天がありました。

「至高天が、宇宙創造神かもしれないねぇなぁ?」
「オラ、そんな事、分からねーだ」

最上界であるエンピレオでは、ベアトリーチェに代わって、ベルナルドゥスが三人目の案内人となりました。天国へ入ったダンテは、多くの聖人達と出会いました。そして聖人達から様々な神学的な議論を試され、多くの智慧を授かったのです。それによって、ダンテは更に上昇していくことができました。そして、至高界において、ダンテは、「天上の純白のバラ」を目撃したのです。その時、ダンテは、それを見る事によって、総てのものが神の愛であることを悟ったのです。

「天上の純白のバラって、神様の御心なのかもしれないね~」

私達は、この世の生まれてくる時に、過去の記憶を、全て消されてしまう為に、あの世(生まれる以前の記憶)のことを忘れてしまっています。実際には、人間の潜在意識の中に、過去世の全ての記憶が存在しているのですが、普通の状態では、それがなかなか想起されてこないのです。
そのために、生きたままの状態で、あの世の地獄界・煉獄界・天界を旅したダンテの体験は非常に貴重なものです。その体験は、二十一世紀の現代に生きる私達にとっても重要なものです。高度に技術化した社会に生きる私達にとっては、高度に機械化された分だけ、より一層、想起することが難しくなっているので、その重要性は、更に一層、増していると言えるのです。

一人の例外なく、総べての人間は、やがてこの世の寿命が来て、あの世という別の世界へ旅立っていかなければならない存在です。そうである以上、ダンテが残した「神曲」を肝に銘じながら、日々を生きていかなければなりません。

ダンテが残してくれた「神曲」とは、地獄界・煉獄界・天界へと、人間が進化していくメロディであり、生命のシンフォニーだったのです。
別の言葉でいうならば、それは「生命の進化のプログラム」でしょう。

その生命のシンフォニーの最後の真髄が、「天上の白いバラ」でした。
ダンテが、長く辛く悲惨な霊界旅行の最後において、エンピレオと呼ばれる天界の至高天で目撃したもの・・・
それは、全き「神の愛」だったのです。

「ただの夢想家のたわごとだよ~」

「こんなの、ウソに決まってるじゃん!」

そう思えば、それで全てが御終いです。しかし、それが絶対にないとは、言い切れません。

現実と理想、現実と夢、現実と空想・・・

「現実とは、一体、何なのだ!」

その時、私は、ダンテの不思議な世界の中に入りながら、ダンテと同じように、暗い世界の中に、さ迷っている自分に気がついたのです。

「ダンテに会わなければ、もう少し、まともな人生が送れただろうに・・・。もう、遅いかもしれない・・・」

「ウワッ、ハッ、ハッ、ハッー」

どこからか、私を嘲笑うような悪魔の勝利の高笑いが聞こえてくるようです。

想いと言葉、事実と虚偽、男と女、肉体と心、愛と罪、生と死、神と悪魔・・・。

私の心の中に、様々な想念が泡のように浮かんでは消え、そして異なるものが、次々に浮かんでは消えていくのを感じていました。 

この本を書いた当初、ダンテは、この本のタイトルを「神曲」ではなく、「喜劇」としていました。それは、人生が、決して、暗く、悲しいものであると捉えたものではなく、それとは反対に、神の愛と栄光に包まれた素晴らしいものであると捉えていたからです。

「そうだ、人生には愛と希望があるのだ! 愛と希望を捨ててはいけない!」

皆さん、やっと、ダンテ地獄・煉獄・天界ツアーから抜け出すことができました。
おめでとうございます! 皆さんは、肉体を持ったまま、ダンテと同じように霊界旅行をしてきたのです。これで、浄化を一つしたことになります。
生き返りました。甦りです。生命の進化です。

ここから、地上の世界へ戻って、再び、フィレンツェの街を歩き始めるのです。

「一瞬は永遠であり、永遠は一瞬である・・・」

そのような、長い、長い夢のことを考えながら、私は一人、ピッティ宮殿を訪れました。

ヴェッキオ橋から数分のところに、威厳のある石組みの建物が見えてきました。現在は、パラティーナ美術館や、様々な博物館がありますが、元はメディチ家の住まいです。15世紀に、商人ルカ・ピッティが住居とするために、ブルネッレスキに依頼して建てられたルネッサンス様式の建物です。しかし、実際には、ピティ家がここに住むことはなく、トスカーナ大公・コジモ一世が、妻であるエレオノーラの体調の為に、この建物を買い取ったものです。
宮殿の内部には、ラファエロの「小椅子の聖母」「ベールを被った女」等の作品が、金色に包まれるような宮殿の雰囲気の中に展示されているのです。

「メディチ家の至宝の財産が、ここで護られている!」

もう既に、メディチ家は断絶して無くなってしまいましたが、メディチ家の魂は、今でもここに輝きながら残っているのです。

そして、私はピッティ宮殿の背後にあるボボリー庭園を通り、ミケランジェロ広場へ着きました。
この広場には、全裸のダビデ像があります。

「やぁ、また会ったね。ダビデ君!」

私はダビデ像に挨拶しました。

「やぁ、夢想家君! 元気にやっとるかね?」

そして、アルノ川沿いに立つと、そこから、ドゥオーモをはじめ、ヴェッキオ宮殿、ヴェッキオ橋等、フィレンツェのエッセンスの総てが一望できるのです。

「これは素晴らしい眺めだ!」

フィレンツェの美しい薄赤茶色の光景を見ていると、思わず時間が経つのを忘れてしまいます。
そして、いつまでも、そこにいたいと思ってしまうのです。

「この世に、これほどの美しい場所があるのだろうか!」

この景色を見ることができるならば、総てを失ってもいい、というような素晴らしさが、ミケランジェロ広場にはあります。

朝のフィレンツェ、昼のフィレンツェ、夕暮れ時のフィレンツェ、そして夜のフィレンツェ・・・。
私は、再び、ダビデ像に話をしました。

「また来るからね。それまで、フィレンツェを見護っていてね! チャオ~」

ヨーロッパ編

中近東編

1.イスラエルへの出発
2.イスラエルでの一か月
3.ユダヤの神殿と、イスラムの聖地
4.トイレ探し大冒険 イン エジプト
5.ルクソールでの太陽の夢

アジア編

1.カラチの出来事
2.ダライ・ラマとの出逢い
3.ラダック・レー(1)マンダラ祭
4.ラダック・レー(2)出逢いと発見
5.ラダック・レー(3)事故
6.スリナガルの夢
7.サールナートの情熱(未完成)
8.聖地バラナスィ
9.フィリピンでの治療