イギリスでの二週間 

(一) 入国とロンドン初日
私が乗ったパキスタン航空のフライトは、北京空港でエンジン調整した後、パキスタンのカラチ空港へ着きました。その後、私はロンドン行きの便に乗り換える為に、一人、空港で次の便を待ち続けていたのです。
すると、私の身体に突然、異変が起きました。異常な寒さを感じたのです。

「寒い! むしょうに寒い! どうしたのだろう? この全身の寒さは?」

誰も知らない所で一人、取り残されていたように待っていた私の全身は、なぜだか、すっかり氷のように冷え切っていて、ガタガタ震えが止まらないのです。このように異常な寒さを経験したのは初めてのことでした。
原因不明の異常な寒さと、どうしようもない不安が、急に私の心と身体に襲いかかってきたのです。
「これから、全部、一人でやるしかないのだ!」

私は、そう強く自分に言い聞かせたのです。
結局、私はロンドン行きの便に乗り換えるまでに、約18時間も待たされたのです。それは、私が一人で世界旅行へ出る最初の試練でした。
そして、ようやくフライトに乗ると、今度はパキスタンの同じ音楽が、耳元から何度も何度も流れて来るのでした。

「参ったな!」

寒冷地獄の後は、騒音地獄でした。
私がその時に利用したのは格安チケットでしたが、本当にイギリスまで行くことは大変なことでした。

「ここを通り越せば、次は、第一の目的地、ロンドンのヒースロー空港だ!」

幸いにも、機内に何人かの日本人がいましたので、その人達と話をすることによって、心配やトラブルを乗り越えていくことができました。
日本から約二日間かかって、ようやくイギリスへ到着することになったのです。

「やった! ヒースロー空港だ!」

やっとのことでロンドンに着いた喜びに震えながら、私は機内席を立ったのです。
そして、私は機内で一緒にいた日本人に礼を言って、入国手続きを始めました。

しかし、この時、私はイギリスの入国審査の厳しさを全く知らなかったのです。
私に女性審査官が来て、色々なことを質問するのです。
私は、気楽な感じで何の考慮もなく、話をしました。

「あなたがイギリスに来た目的は何ですか!」

「観光です」

「あなたは、どこへ行くのですか?」

「どこって、まだ決まってないですけど・・・」

「あなたは、どこに泊まるのですか?」

「それも、まだ決まってないですけど・・・」

「ちょっと、あなたの荷物を調べさせてもらいます」

「いいですけど」

「何ですか、この茶色の薬は?」

「これは正○丸と言って、胃腸の薬です!」

「怪しいですね」

「これは、何ですか?」

「これは般若心経と言って、一般の人でも使うものです」

「怪しいですね」
明らかに彼女は、私がどこかのカルト信者だと考えているような態度でした。
すると、今度は男性の審査員が来ました。
「あなたのボディ チェックをしますので、奥の部屋まで来て下さい」

この時、私も、何だか様子がおかしいなと真剣に思い始めていました。
私の顔も、すっかり明るさが消え、不安を感じ始めていました。

「服を全部脱いで下さい」

なんと、私は、パンツ一枚にさせられてしまったのです。

「これから、あなたのトラベラーズ・チェックを調べさせて頂きます」

私は持っていたトラベラーズ・チェックを調べられたのです。

「オー!」

私は、三年間、商社勤務していたお金を全部、トラベラーズ・チェックに変えて持参していたので、その審査員は、その金額の多さに驚いたのです。

「バシン!」

ようやく、私のパスポートの上に、入国ビザのスタンプが押されたのです。

「あなたは、二週間のイギリス滞在とします」

その入国ビザの中には、そのように記入されていました。

後になってから、ある日本人から聞いたのですが、イギリスでは、海外から来る外国人の不法労働者を防止する為に、入国する時に厳しいチェックが行われるということでした。外国人の中には、その場で、「入国拒否」になり、イギリスへ来る直前の国へ強制送還されてしまう人もいると聞かされたのです。

もし、その時、私が入国拒否されて強制送還になっていたならば、日本まで戻らなければなりません。せっかく、ロンドンまで到着したばかりなのに、また日本へ帰ることになったら、それは本当に大変なことでした。

「本当に、こりゃ、大変だわい」

そして、空港のインフォメーション センターへ行くと、B&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)という宿泊地を紹介されました。
私は、一度に多くの困難が押し寄せてきたことと、ようやく解放されたことの安堵感で、しばらくの間、何も考えることができなくなってしまいました。
そして、私はヒースロー空港から、宿のあるアールズ コートまでアンダーグラウンド(地下鉄)に乗り、そこで下車しようとしました。

「あっ、キップがない!」

私は、もう、頭も身体も完全にフラフラになっていて、自分が買ったアンダーグラウンドのキップが、どこかへいってしまい、どこを探しても全く出てこないのです。

それで私が事情を話すと、その駅員さんは、私の必死さを理解してくれ、
私に手を振りながら、「オーケー」のサインを出してくれたのです。

「アールズ コートの駅員さん、有難う!」

私は、そのように囁きました。

インフォメーション センターで紹介されたB&Bという宿を歩きながら探していると、とても美しい白い建物が一列に並んでいるのが徐々に見えてきて、その中の一つに自分の宿を見つけました。それは、忘れられない瞬間でした。
表のドアを開け、その中に入ってみると、イギリス人らしい知的な感じがする女性が三名いました。そして、さっそく、私に部屋を与えてくれたのです。

「アイ ワントゥ ステイ ヒアー!」

まるで、この時の為に、学校で英語を学んでいたかのように、私は話しました。

「O・K!」

幸いにも、私の英語はイギリスでも通じたのです。これで、ひとまず安心でした。
部屋の中を見せてもらうと、とても奇麗なのですが、なぜかトイレが付いていないことに気が付きました。

「大丈夫、大丈夫! 問題なし!」

私はまず、自分の部屋で重いリュックを下ろし、厚い衣服を一枚ずつ、脱いでいくと、あるポケットの中から、失くしたはずのアンダーグラウンドの切符が出てきたのです。

「とんでもねぇ、メチャクチャな一日だ!」

ロンドン初日でした。

(二) ロンドンとソールズベリーの夢

その日は、すっかり疲れてしまっていたので、夕方の5時頃に、私はベッドに横たわりました。そして、目が覚めて、時間を見た時、私は驚いてしまったのです。
その時間は、夕方の5時だったのです!

「何と、丸一日、私は眠ってしまったのか!」

丸一日も眠ったことは、初めてのことでした。それも全くの無意識状態で、何も覚えていないのです。それは、気がついたら一日過ぎていたという感覚でした。

そして、私は夜食を買う為に、近くのマーケット・ストアーに出かけたのです。
そのマーケット・ストアーには、様々な人が買物に来ていました。一番私が印象に残ったのはイスラムの女性の姿でした。
そのイスラムの女性は、全身を黒い衣装で身を包み、マスクのようなものを顔に付けていたのです。それは両目の周りと鼻筋の上が黒いもので覆われていて、まるで仮面のようにも見えるものでした。

「ロンドンには、色々な人がいるのだな」

私は、イギリスに来た事を、その強いカルチャーショックから改めて感じたのです。

その日、私は、夜中に、一度トイレに立ちました。トイレが部屋に付いていないので、静かに部屋の前を通り過ぎ、ゆっくりとトイレに向かったのです。
すると、突然、私の目の前に、一人の女性が出現したのです!
その時、物凄い電気のような衝撃が私の身体に走り、私の全身の毛が逆立ったのです。

「スワッ! イギリスのゴースト出現か!」

よく見ると、最初に会った女性の一人でしたが、その女性も、私の反応に驚いている様子でした。夜勤の彼女は、夜中に、足音が聞こえたので見回りに出てきたのです。お互いで驚きあって、どうするの! 

「いやはや、いやはや」

それから、私は眠りにつきました。

その夜、私は不思議な夢を見ました。
私は、東京の自宅にいたのです。そして、いつの間にか、私の手と足が上の方に伸びていき、手と足が、まるでふろしきのように一つに纏められていきました。そして、どこからか、一羽の鳥が現われてきました。その後、その鳥が、一つに結びつけられた両手両足の結び目の部分を口にくわえながら、大空を飛び始めたのです。すると、私のいる空間が移動していくのが感じられました。
気が付くと、私はイギリスのロンドンの一室にいたのです。
それは、非常に鮮やかな夢でした。

翌日から、ロンドン観光をしました。何せ、二週間しか、イギリス滞在が認められていないのですから、忙しくなってしまったのです。

ロンドンと言えば、ビッグ ベン(国会議事堂)です。
私は、まず、ビッグ ベンへ行きました。

「ここが大英帝国の象徴、ビッグ ベンか!」

イギリスの歴史と伝統を総て含んでいる、威厳ある建物に私は息を飲みました。
その時計台全体からは、何か人間を超えた聖なるものと、言いようのない畏怖感が、天に向かってそそり立つ議事堂全体から漂っていました。

「なぜか、懐かしいような気がするなぁ・・・」

私は、ウエストミンスター ブリッジの上で、ビッグ ベンを見ながら、イギリスという国の流れというものを、時を忘れて一人想い耽っていたのです。
私は、ここ数百年に渡る近代の歴史の中で、イギリスを中心とする西洋諸国が果たした役割と出来事というものを感じていたのです。

蒸気機関の発明、産業革命、植民地主義、帝国主義、フランス革命、アメリカ独立、第一次大戦、第二次大戦、経済貿易戦争、・・・。

「イギリス人は、ここで一体、何を夢見ていたのだろうか・・・。過ぎてしまえば、皆、夢の如し・・・。ある時は味方になり、ある時は敵となり、人生と同じように、国家の運命というものは、実に不思議に満ちている・・・」

ロンドンの地に来て、私達が人類瞑想をするならば、必ず素晴らしい体験を得ることができると思いました。それは、この場所が、地球的、世界的な視野で物事を考え、それを観ることができる偉大なパワースポットだからです。
その後、ウエストミンスター寺院、バッキンガム宮殿で衛兵交代を見てから、ウエストミンスター大聖堂、グリーン・パーク、ハイド・パーク、ケンジントン・ガーデン、ピカデリー・サーカス等を見て歩きました。 
しかし、一番のお気に入りは大英博物館でした。大英博物館は、世界中の様々な重要なものが全て集まっている場所です。中身が非常に濃い上に、館内が非常に広いので、一日では回ることはできません。私は、ロンドン滞在中、三回ほど大英博物館へ訪れました。

そして、私は以前から、ストーンヘンジへ訪れたかった為に、ウオーター・ルー駅から鉄道に乗り、ソールズベリーへ向かったのです。

ソールズベリーに着くと、すぐに大きなソールズベリー大聖堂が見えてきました。
その中に入ると、あの「マグナカルタ」があったのです。それは1215年に、当時の封建貴族達がジョン王の不法な政治に対して、承認さえた大憲章であり、人民の権利を守るものとして、イギリスの民主主義の基礎を創った権利の法典の一つでした。そして、近代になって、アメリカに渡った人々の指導原理にもなったものです。
私は、暫くの間、それに見とれていましたが、ストーンヘンジのことを忘れてしまうようでした。気が付くと時間がどんどん経ってしまっていたので、やむを得ず、そこから去り、タクシーを呼んで、ストーンヘンジを目指すことにしたのです。タクシーは、辺り一面、畑しかない平原に造られた細い道を快調に走って行きました。
やがて、緑の大地の中に、丸い形をした石の塊が見えてきたのです。

「ストーンヘンジだ!」

私は、そこへ近づいて行きました。
ストーンヘンジとは、イギリス南部に位置するソールズベリー平原にある先史時代から造られた環状列石のことです。
中央部には、一個平均30トンから最大50トンもの重さがあるサルセンストーンによって、三石塔とも呼ばれるパイ型に造られた五個のトリリトンが、馬蹄形に配されています。サルセンストーンは、約30キロ離れたウィルトシャー北部から運ばれた石です。その開口部には、ヒールストーンという一つの石がアベニューという道に沿って置かれています。そして、その周囲に小さなサルセンストーンという30個の石が並べられています。そして、その一つ一つの石の上に横石が置かれて、巨大なサークルを取り囲むようにしたのです。
重要な事は、ブルーストーンです。ブルーストーンは、環状の土塁にある56個の木柱の穴に立てられたと言われていて、その石の一つの重量が約5トンですから、その総重量は計算すると、約300トンになります。その石が約240キロ離れたウエスト・ウエールズのプルセリ山地から運ばれて来たのです。
約5000年前の古代人が、わざわざ、自分達の身体を削りながら、この地に運んで来たのには大きな理由がありました。
それは、ブルーストーンという石には、不思議なヒーリング作用があると古代人が信じていたからです。
そして、トリリトンの少し離れた場所に、キャップストーンが置かれていますが、夏至の時になると、キャップストーンがある方角から太陽が昇り、冬至の時になると、キャップストーンのある方角へ日が沈むのです。そのようなことから、ストーンヘンジは、「古代の天文台」「天文コンプーター」ではないかと囁かれていました。

私は初めてストーンサークルを見た時は、紀元前8500年頃の石器時代において、この場所にUFOが降り立ったのではないかと思いました。UFOが着陸した後には、必ず、大きな円形の跡が残ります。それを目撃した古代の人々が、この場所を聖なる地と定め、多くの年月を重ねていく内に、いろいろと整えられて現在の形に造られていったのではないかと思いました。

現在はその穴の跡しか残っていませんが、約5000年前には、サークル状の土塁の内側に、56本もの木柱が立てられていたのです。
約5000年前に、ヒーリング効果のあるブルーストーンが運ばれて始め、段階的に進みながら、約4000年前に、現在の形に整えられ、それが様々な儀式に使われていったのです。
ヒーリング効果のある石が、大地の力であるガイア・パワーのある場所に置かれると、その石が持つヒーリング効果は、さらに増幅されていくのです。
280キロも離れた場所からブルーストーンを運んできた古代の人々は、このソールズベリーという大地そのものが、大きなガイア・パワースポットであることを知っていたのではないかと思われます。
大地や自然に精通していたケルト民族や、ドルイド教の神官達は、ソールズベリーの大地のガイア・パワーと、ブルーベリーストーンのヒーリング・パワーとの増幅効果について、知っていたのだと思いました。
ストーンヘンジの場所には、遙か以前にそこに立っていた人々の多くの夢と希望が、今も残っている様に私は感じたのです。

イギリスには、毎年、数多くのミステリーサークルが発見されています。
報道では、それらは全て人間が造っているものであると書かれていますが、私には全てを人間が造ったとは、どうしても考えることはできません。
100個の内、たとえ、95個を人間が造ったとしても、その内の5個は人間ではないものによって造られた可能性が残っているのです。
ミステリーサークルは、毎年、その形状や大きさなどが、より進化し、より高度なものが造られています。そのような進化したミステリーサークルを高度な技術を持った人達が、深夜において、決して人目につかないように、しかも極めて短時間で造るということは、ほとんど不可能に近いのではないでしょうか。
今どき、そんなヒマな人はいませんよね!
私達が地球という惑星から、他の惑星へ観測衛星を飛ばしたりしているのと同じように、この大宇宙に宇宙生命体は存在し、日夜、UFOによって総ての国々へ飛来しているのが事実です。

そして私の古代への夢は、ますます、限りなく広がっていくのでした。


(三)サンダーランドの光とインバネスの湖
ストーンサークルへ行って、ブルーストーンのヒーリング・パワーと地球大地のガイア・パワーの増幅波動を浴びたことは、私の人生全体に対して、何かの変化をもたらしてくれるような感じを受けました。
そのような気持ちの中で、私はサンダーランドに住むレイモンド・ドレイク博士に会う事にしていたのです。サンダーランドという町は、ヨークシャー州の北部にある港町でした。ドレイク博士は、「宇宙人の子孫」「火星からの使徒」という本を書いている人でした。私は、直接、ドレイク博士の自宅に伺ったのです。
ドレイク博士は高齢でしたが頭脳明晰で、身体も健康でした。
ドレイク博士の本は、世界中で出版され、読まれているのです。
博士は、私に尋ねました。

「あなたは、日本人がムー大陸から来たと思いますか?」

現在の日本人が、北部の樺太からも、大陸を通った朝鮮半島からも、東南アジアや、ポリネシアなどの南方からも来ていた混合人種であると私は考えていました。レムリアという言葉から、レ・ムがムーに似ていることから、いずれにしてもムーと日本とは関係があると思っています。
しかし、約一万二千年以上前に起きた地球大異変によって、多くの大陸が大沈没し、また同時に新たな大陸が大浮上して来た為に、過去の大陸分布と、現在の大陸分布とは大きく異なっているのです。

一、ムー大陸(レムリア大陸)がアジアに存在していたこと
二、ムーの人々が、太陽を神として信仰していたこと
三、海の民である為、海を利用すれば日本へ来ることは可能なこと
これら三つから、日本にムー大陸から逃げてきた人々がいたのではないかと私は思いました。そして、博士の説を認めました。

「はい、そう思います」

ドレイク博士は、非常に喜んで私に色々な話をしてくれました。
話をしている間、ドレイク博士の目は、まるで様々にカットされたダイヤモンドのように多面的に動き、私をあらゆる角度から観察しているのが分かりました。
そして、宇宙人のことや、ファチマの奇跡、ルルドの奇跡、パラマンサ・ヨガナンダについても語りあいました。
博士は、このようなことも私に話してくれました。

「第三次世界大戦の時には、必ず、宇宙人が人類に介入するだろう!」

博士は、地球に生きる人類というものが、単に、この地球だけの存在ではなく、総ての大宇宙空間の中において、他の宇宙生命体と同時に存在し、生きている存在であるということを私に強く刻みつけてくれたのです。

その時間は短いものでしたが、若い私にとって非常に大きな影響を与えてくれました。そして、人間に対する本当の愛を感じさせてくれました。

「総てのものは、一つに繋がっている!」

そして、UFOの先駆けを担った、ジョージ・アダムスキーも同じ言葉を残していたことを思い出しました。
ホテルへ戻った後で感じた事なのですが、ドレイク博士が、何か、古の大祭司だったような感じがしてきたのです。私は、ストーンヘンジへ訪れたことと、サンダーランドという土地がケルト世界に通じていることから、不思議な感覚がしてきたのです。

「ドレイク博士の前世は、ドルイド教の神官か、祭司ではなかったのか?」

以後、私の脳裏には、このような感覚が消えなくなってしまったのです。

サンダーランドの想いを噛みしめながら、私はインバネスへ行くことに決めました。もちろん、その目的は、ネス湖の怪獣、ネッシーです!しかし、その途中にあるエジンバラという街が、気になってしかたありませんでした。特にエジンバラの知識はありませんでした。しかし、なぜか素通りできないのです。

私がエジンバラを訪れた時は、ちょうど雨が降っていました。その雨が降る中を一人で古城の周りを歩いたのです。エジンバラ城は、非常に大きいのに加えて、鉄壁の守りで、敵がどこから来ても守り通せるという難攻不落の城だということが伝わってきました。
全て石造りで、全てが高く、頑丈そうでした。
イギリスという国が一つに纏まっていく中で、数多くの戦いの歴史があった事を深く感じさせてくれました。その苦しみと悲しみの中から、数多くの偉大な英雄が誕生し、素晴らしい神話が生まれて行ったのです。
そして、人々に永遠の夢を与え、希望の火をともし続けてくれているのです。

私は、インバネスを目指しました。そこは、スコットランドです。インバネスまで行けば、イギリスは制覇という単純な思いでした。
この時の私の身体は、心の高揚感とは別に、緊張感の為に長期間の便秘に苦しん  
でいました。もう、私の腸は、パンパンだったのです。
インバネスへ着くまでの道中において、列車の中で、私はビールを飲みましたが、全然、効果がありませんでした。インバネスの駅に到着するやいなや、私は、薬局を探し始めたのです。

「あった! ここで薬を買おう!」

「何が欲しいのですか?」

「ストップしているから、出す薬、プリーズ!」

私は、便秘を止める薬が欲しかったのですが、便秘という言葉を知らなかったのです。そして、色々と自分の症状を説明して、やっとのことで薬を買う事ができました。

「これで、もう大丈夫だろう」

一応、飲む前に、その薬の説明書を辞書で調べながら、読み始めました。

「この薬は、下痢止めです!」

「何という、こっちゃ!」

私は再び、同じ薬局へ行き、今度は、しっかり便秘止めを出してもらったのです。

それを飲んで、身体を温めていると、私の腸がムズムズと動き始めてくるのが、はっきりと分かりました。

「ヤッター。嬉しい。大成功!」
このようなことで、私は喜んでいたのです。
ネス湖(ロッホ・ネス)は、スコットランド北部のハイランド地方にあるイギリス最大の淡水湖です。長さが約38キロ、幅が2キロメートルの細長い湖で、その水深は、最大で約230メートルです。
私はバスに乗り、ネス湖に着きました。この辺りは、ホテルもなく、交通も不便な所です。だからこそ、ネッシーも安心していられるのでしょう。
私が立っていた場所の近くには、ユースホステルが一軒ありましたが、その時は、あいにく休館になっていました。近くには、ネス湖の調査センターがありましたが、これも残念ながら閉まっていたのです。

「私は、ネス湖に来た!」

何もない所で、私は一人、湖を見つめ、風を感じていました。

「見つからないからいいんだ」

神秘的なネス湖の深い碧色を見つめているだけで、私は満足でした。

「分からないから、いいんだ。見えないから、いいんだ。でも、分からなくても、見えなくても、そこには、必ずあるんだ! 必ずいるんだ!」

そう言って、私は爽やかな風を受けながら、ネス湖を後にしました。
そして、私はインバネスから列車に乗り、ロンドンを目指したのです。

やがて、ロンドンのキングス・クロス駅に着き、それからドーバー海峡を渡る為にドーバーに到着したのは、ちょうど入国から二週間目の夜のことでした。それは私に許されていた滞在期間の最後の夜だったのです。
私は、この時初めて、ホバークラフトに乗りました。ホバークラフトとは、強力な空気圧を海面に送ることによって、海面を滑るようにして進んで行く乗物です。しかし、私には、まるで全体がゴムで造られた偽UFOに乗っているように思えて、しかたがありませんでした。このUFOキチガイめ!
ついに、ヨーロッパ大陸進出です!

「グッドバイ、イングランド! ボンジュール、フランス!」

ヨーロッパ編

中近東編

1.イスラエルへの出発
2.イスラエルでの一か月
3.ユダヤの神殿と、イスラムの聖地
4.トイレ探し大冒険 イン エジプト
5.ルクソールでの太陽の夢

アジア編

1.カラチの出来事
2.ダライ・ラマとの出逢い
3.ラダック・レー(1)マンダラ祭
4.ラダック・レー(2)出逢いと発見
5.ラダック・レー(3)事故
6.スリナガルの夢
7.サールナートの情熱(未完成)
8.聖地バラナスィ
9.フィリピンでの治療